天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

橋下、海外に向けでもごまかし、すりかえ(1)

橋下氏 外国特派員協会で会見 

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2443586 

 

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 橋下氏は26日、「私の認識と見解」と題した文書を公表し「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もない」などと釈明。 

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全文書き起こしから徹底検証してみますね。 

 

>今回、私がした発言のひとつの「ワード」が抜き出されて報道されたのが、今回の騒動の原因です。 

 

報道がワードだけ切り出した事実はない。「慰安婦が必要なのは誰でもわかる」とセンテンスで報道された。誰でもわかるというのは自分のみならず、他の人もわかるという意味である。単純な文章だから、翻訳するのも簡単だし、間違いようがない。市長は確かに「慰安婦が必要なのは誰でもわかる」と言った。 

 

 

>私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。 

 

他のところでは 

 

>性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。 

 

と言っている。沖縄の米軍司令官には、法律で認められている性風俗を利用することを勧めた事実がある。とすると米軍に女性の尊厳を蹂躙するよう進言したことになるな。 

 

>誤解しないで頂きたいのは、旧日本兵の慰安婦問題を相対化しようとか、ましてや正当化しようという意図は毛頭ありません。他国の兵士がどうであろうとも、旧日本兵による女性の尊厳の蹂躙が決して許されるものではないことに変わりありません。 

 

 

このセンテンスは巧妙なすり替えだ。慰安婦をひどい目に合わせた責任は「日本軍兵士」にあるのではない。慰安所を設置し、慰安婦を連行し、監禁し、性労働を強制した責任は当時の軍中央と日本政府にある。その地位は現在の日本政府が受け継ぐ。橋下は日本政府の罪を当時の日本軍兵士になすりつけているのだ。 

 

>過去の歴史のみならず今日においても根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題の真実に光が当たらないことは、日本のみならず世界にとってプラスにならない、という一点であります。 

 

これもごまかしだ。日本政府は今も、日本軍元慰安婦のみなさんに対して心からの謝罪と補償を行なうこと拒否している。これを行なうことこそ、日本のみならず世界にプラスになる。日本はあれだけひどいことをやってもうやむやにすることができる、となれば、世界各国の軍隊がふたたび慰安婦のような凶暴な事件を起こす危険が残る。 

 

日本だけが非難されているというのはウソだ。各国の軍隊の性暴力はその規模や悪質度に応じて非難されてきたし、今も非難されている。しかし、国が兵士に対して性暴力を組織的に行使できる慰安婦制度を企画し、大規模に実行した点では日本が最も突出している。

戦時における性暴力一般として見るならば、より悪質で、大規模で、組織的な事例からなくしていかなくてはならない。日本は加害国としてまず、自らの問題をきちんと解決することが先決であり、世界各国の、それも、兵士の売春とか、戦時性暴力をどうなくすか、などに話を広げてはならない。 

 

橋下、徹底的な欺瞞作戦。 

 

「GHQが慰安所の設置を要請した」という早とちりの理由(2)

米軍が日本に「慰安所」を作るよう命じたという説をウヨクが盛んに振りまいており、そのひとつが内務省警保局「連合軍進駐経緯ニ関スル件」にある、というものです。wikipediaには「特殊慰安施設協会」の項目で記事があり、その一部を根拠としているらしい。

wikipediaより

他方、占領軍がこの種の「サービス」を提供するよう命じたという説があり、1945年8月22日付で発令された内務省警保局「連合軍進駐経緯ニ関スル件」という文書の最後の項目に「聯合軍進駐ニ伴ヒ宿舎輸送設備(自動車、トラック等)慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」と記されている[10]。また、同日には、連合軍の新聞記者からも「日本にそういう施設があることと思い、大いに期待している」との情報が伝えられていた[11]。しかし、実際には終戦3日後の8月18日に警視庁は花柳界の団体と打ち合わせを終え、内務省は同日に各地方へ「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」を行政通達している[6]。

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 「聯合軍進駐ニ伴ヒ宿舎輸送設備(自動車、トラック等)慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」という部分がそれだが、内務省警保局は連合軍との折衝に当たる部署ではないから、折衝に当たる部署からの指示があり、それを受けての通達であろう。wikiはこのような無責任な「説」などを書くべきではなく、「説」がほんとうかどうか確かめるべきであろう。8月22日と言えばまだ、アメリカ軍は上陸していない。したがって交渉は海外でなされたはずである。さがすまでもなく、ネトウヨがあげるのが川嶋高峰氏の論文である。http://www.isc.meiji.ac.jp/~takane/ronbun/hisenryou.htm

 被 占 領 心 理 肉体の戦士R.A.Aと官僚的「合理性」

                             川嶋高峰氏

 

> RAAの誕生

>  政府は占領軍「進駐」に際し「婦女子」に起こるであろう強姦等の暴力行為を未然に防ぐ手段として、占領軍専用の国家売春施設の準備にいち早く取り組んでいた。しかし、これは何も政府だけが率先した結果ではなかった。例えば、敗戦直後の東京では「異口同音最モ懸念シ居レルハ、婦女子ニ対スル暴行陵辱云々ノ恐怖ニシテ、次ニ食料問題、産業戦士ノ帰趨問題等ナルガ、就中婦女子ニ関スル問題ハ深刻ヲ極メ、速ニ疎開ノ方針若ハ敵上陸兵ニ対スル完全且大規模ナル慰安娯楽施設(特ニ接待婦)ノ確立ヲ要望スル者多キ状況」と報告されていた(33)。また、「進駐」予定地のある三重県からも「私達がこんな事を云ふのは変ですけれども娼妓さんや芸妓なんかをうんと増して欲しい」、「アメリカ軍が民家へ来ない様な彼らを満足せしむる享楽街を早く作ってほしい」といった女性の会話が報告され「婦女子に此の要望多し」と報告されていた(34)。このように「性の防波堤」は官民共有の発想であり、このことは他民族に残虐なものは自民族にすら残虐であることを物語っている。

>  既に当局は、敗戦三日後の八月一八日には「外国駐屯慰安施設等整備要項」とする指令を内務省から各都道府県に出していた(35)。当時これを担当した大蔵省主税局長池田勇人は予算捻出に際し「これだけの金で日本婦女子の貞操が守られるならは安い」(36)と融資を快諾したという。かくして、東京では警視庁の音頭とりで八月二六日、特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association、略称、RAA)が設立された。結成式は皇居前で行われ「『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会秩序の根本に、見えざる地下の柱たらんとす」と大層な声明が読み上げられたのであった(37)。かくして、最初の慰安施設「小町園」が八月二八日、東京大森に開かれた。

>  以上がこの特殊慰安施設設立の経緯についてこれまで明らかにされてきた点である。しかし、ここで極め興味深い事実を指摘しておきたい。それは、連合軍「進駐」に先立ち「進駐」等の手順を決めるために行われたマニラ会談(八月二〇日)において、「慰安施設」の要求が連合国側よりあった可能性である。マニラ会談の直後、八月二二日付けで内務省警保局は地方総監、各庁府県長官宛に「連合軍進駐経緯ニ関スル件」という文書を発令している。これはマニラ会談の雰囲気や今後の「進駐」日程等を、伝えたものであったが、その最後の項目につぎのように記されていた。「聯合軍進駐ニ伴ヒ宿舎輸送設備(自動車、トラック等)慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」(38)。これは、会談当時の模様を伝えるいわば間接情報であり、そのことの真偽、つまり、これが会談における公式な要求としてでたのか、或いは、聯合軍側の代表の私的な会話を伝えたものなのかを判断することはできない。又、仮にこれが公式な要求であったとしても「慰安」の意味の日米間での理解の相違の可能性もある。そもそも、日本政府による慰安施設の準備は、河辺虎四郎ら日本代表が出発する以前に命令されており、この資料を以て特殊慰安施設がアメリカから強制されたものであると証明することはできない。しかし、アメリカ側がこのような施設の要求をしたことを完全に否定することもできないのである。

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慰安という言葉の理解の相違、私的な会話を伝えたなどの可能性を指摘した上で、完全に否定することもできない、と結んでいる。

 

特殊慰安婦施設の設置の決定は8月18日、マニラ会談に河辺虎四郎らが出発する前である。この事実だけでアメリカが命令したということは否定される。しかし、なおその上にアメリカもまた慰安設備を要求したか、どうかまではわからないということになる。

マニラ会談でのアメリカの要求項目によってそれを確認できる。

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マニラ会談で示された連合国最高司令官要求事項http://nagaikazu.la.coocan.jp/GHQFILM/DOCUMENTS/reqirements.html

書誌事項:マニラ会談において日本側に手交された要求事項。江藤淳編著『占領史録』第1巻から引用

 

「マニラ」ニ於テ手交セラレタル連合国最高司令官要求事項

 

<日程と先遣部隊、連合軍最高司令官、鹿屋地域への占領部隊に対する要求にわかれる。長いので宿舎、運送設備、慰安所(?)に関する部分のみを抽出する。>

右日本代表者ハ左ノ事項ニ關シ得ラルヘキ情報ヲ提出スルノ用意アルヘシ

イ、東京湾及鹿屋(九州)地域ニ於ケル左ノ如キ施設

飛行場

水上機基地

海軍基地

防空施設

港湾防備施設

地雷、機雷原及陸海空ヨリスル行動ニ対スル其他ノ障害竝ニ右ニ關聯スル安全航路

空中及水上航行ニ対スル補助施設

港湾施設

送油管ニ依ル配給施設ヲ含ム貯油施設

有蓋及無蓋補給品貯蔵所

将校宿含

兵 営

兵 舎

事務所敷地

自動車輸途

 

二、総司令部區域

左ノ各號ノ便宜ハ人口稠密ナラザル一區域ニ綜合的ニ所在スベキモノトス

該區域ハ所要ノ便宜ヲ適宣集合的ニ所定目的ノ為便用セラルル如ク提供スベキナリ提供セラルルー切ノ建築物及施設ハ其ノ目的ニ達スル如ク完全ナル家具及設備ヲ有シ適当ナル照明及衛生設備ヲ備フベシ

(イ)聯合國最高司令官ノ為相当ノ造作ト家具及四名ノ副官及三名ノ使用人ノ為ノ寝室ヲ有スル適当ナル住宅

(ロ)参謀長及他ノ九名ノ将官ノ為ノ相当ノ造作及家具ヲ有シ最高司令官仕宅ノ近隣ニアル適当ナル住宅

(ハ)六百名ノ士官ノ為浴室及便所ノ施設ヲ有スル「ホテル」又ハ宿舎等ノ類ヨリ成ル住居區域

(ニ)ニ千三百名ノ兵員ヲ収客シ得ル所要ノ厨房、食堂、浴室、便所及事務所ヲ備フル兵舎其ノ他ノ建物

兵舎ノ収容カノ墓準ハ一人当五百立呎以下ナラザルモノトス

 

(ホ)司令部事務所ノ為約六七、○○○平方呎ノ事務所用敷地ヲ要ス右ハ要スレバ一區域ヲ四九、○○○平方呎他ノ地區ヲー八、○○○平方呎トスル基準ニ依り適宜ノ距離ニ離レタル二區域ニ分ツコトヲ得

 

(ヘ)軍需品格納ノ特ニ約一萬平方呎ノ有蓋倉庫敷地ヲ要求セラルベシ右敷地ハ駐屯軍兵舎ノ附近ニアルモノナルヲ要ス上記有蓋倉庫ノ附近ニ約十萬平方呎(二「工―カー」)ノ野天物資集積用又ハ自動車停車用空地ヲ要ス

 

(ト)本地域ニ於テー九四五年八月ニ十七日一五○○時迄ニ下記数量ノ自動車輛ノ提供ヲ要ス聯合軍側へノ引渡ニ先チー切ノ之等車輛ニハ完全ニ「ガソリン」、潤滑油及「グリーズ」ヲ供給シ置クヲ要ス、聯合軍側ノ使用期間中「ガソリン」及潤滑油ハ所要ニ応ジ供給セラルベキモノトス

 

総司令部地域ニテ所要ノ車輔類左ノ如シ

 

乗用車一五○台、「バス」(十五人乗以上)ニ五台、「トラヅク」(ニ屯乃至ニ屯半積「カーゴー」型)五○台

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これだけである。慰安も慰安所の文字も出てこない。当然である。アメリカ占領軍の最大の関心は自軍の安全である。戦争の間中、あれだけ果敢に戦った日本人が激しい抵抗・不服従を示すのではないかとおそれていた。要求事項には日本の陸海軍に対する指示がずらりと並ぶ。次に重要視されたのは、米兵を収容している捕虜収容所を早期に確保し、衰弱している捕虜を早期に解放することであった。三番目に自身の宿舎や食料などである。焼け跡であり、食料もないのでこれらを確保しなければ占領軍兵士が生活できない恐れがあった。そんな中で兵士の「慰安」、それも日本女性を使っての慰安など考えも及ばなかったのが実情である。ドウス昌代の『敗者の贈物』には日本が女性を使っての破壊活動をすることに対する危惧をもっていたことが明らかにされている。アメリカ軍が慰安所を要請することはありえなかった。

 アメリカ軍の要求にないものが内務省警保局長の文書には付け加わった。その背景を推測するならば、敗戦以来このかたのアメリカ軍の性暴行を防ぐことが官民一致の最大関心事となったという日本人の精神構造である。アメリカ軍の要望に宿舎、運搬設備とあれば次には「慰安所」だろうとはじめから決めてかかっていた局長氏は特別な意図があったわけでもないのく、疑いも持たず書き足していた、というのが一番ありえる。川嶋氏がいみじくも指摘するように、「このように「性の防波堤」は官民共有の発想であり、このことは他民族に残虐なものは自民族にすら残虐であることを物語っている」ということなのである。

最後になるが、wikiの記述の中の

また、同日には、連合軍の新聞記者からも「日本にそういう施設があることと思い、大いに期待している」との情報が伝えられていた[11]。

という部分は新聞記者が「そういう施設」を期待していた、という意味ではなく、アメリカ兵が「そういう施設」に通うという場面を見たらただちに撮影したら、特ダネになる、というアメリカ国内の事情を語っている。これもドウス昌代の『敗者の贈物』を読めばすぐわかるのだが、このwikiの記述を加えたネトウヨは記事の意味がよくわかっていないまま、飛びついたようだ。

 RAAをめぐってアメリカ軍が命令して作らせたという記事は当時の日本人と現今のネトウヨの脳内風景を映し出して物悲しい。

紙智子議員が安倍首相の「強制連行の資料なかった」発言を追求している。

 2007年の第一次安倍内閣は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定をした。

昨年11月7日、安倍は(首相就任前)、 米紙に慰安婦の強制連行を裏付ける資料はない」という意見広告に賛同者として名を連ねた。それには

日本軍によって女性たちが、自らの意思に反して売春を強制されたことをはっきりと示す歴史文書は、これまで歴史学者や調査機関によって1つも発見されていない。当時の政府や軍指導者からの戦時の命令を保管しているアジア歴史資料センターでのアーカイブ検索で、女性を強制的に拉致し慰安婦として働かされたことを示す文書は一つとしてないことが明らかになった

 とある。

歴史学者がそういう資料を1つも発見していないというのはウソだ。吉見義明教授、林博史教授、永井和教授らははっきり認めているし、秦郁彦教授の資料でさえも強制性を示す資料を発表している。「調査機関」がどういうものであるかは判然としない。しかし、そもそも河野談話を発表した宮沢内閣の調査会は自らの意思に反して売春を強要されたことを認めているのだが。 

平成13年1月31日本会議発言 では、

安倍首相「強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかつたということを明らかにしたわけであります」

普通、ひとさらいと言ったら人気のないところを狙って襲って脅したり、縛ったりしてこそっと連れていくというイメージだ。「人の家に入ってさらう」というと家人の抵抗を排してやらなくてはならないから、なかなかの荒仕事だ。強制の定義をここまで縮小するか、と苦笑する。
ところが、米紙での新聞広告では女性が「その意思に反して日本軍に売春を強要されていた」ということはない、と広い定義を採用した。つまり、騙して和やかに連れて行って、ついたらいきなり「売春」を強要されたということでもいいわけである。

アメリカ人に説明するときはアメリカ人の神経にさわらないよう、ほぼ完全否定してみせるが、日本ではひそかに定義を狭くする。これは慰安婦の内実がよく知られている日本ではウソを言えばすぐ足をすくわれるからである。

 

資料が発見されるかどうかはだれがどの部署に命じてどういう資料を探させたか、ということで違ってくる。

>「当時の政府や軍指導者からの戦時の命令を保管しているアジア歴史資料センターでのアーカイブ検索で」

というのは長い形容をつけて資料の捜索範囲を限定するつもりではないかと私は疑っている。
しかし、法務省から国立公文書館に移管された「A級極東国際軍事裁判記録」らは軍や官僚が強制的に連行した証拠書類が残されている。この文書はもちろん、アジア歴史資料センターでのアーカイブに存在する。

このことを、共産党・紙智子参院議員が明らかにした。その文書を紹介しよう。

紙智子議員「日本軍「慰安婦」問題の強制連行を示す文書に関する質問主意書」(参議院HP)より。

(読みやすくするために、書証番号は漢数字を半角アラビア数字に、書証のカタ仮名は平仮名に書き換えました) 

 

強制連行を示す文書は、書証番号353の「桂林市民控訴 其の1」、書証番号1725の「訊問調書」、書証番号1794の「日本陸軍注意の陳述書」である。

 

「桂林市民控訴 其の1」中国桂林での事案として「工場の設立を宣伝し四方より徐行を承知し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した」

 

書証番号1725の「訊問調書」、被害女性の証言として「私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署に連れていった。(中略)私等を日本軍俘虜収容所事務所へつれていきました。此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車で「マゲラン」へ輸送され、(中略)私等は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此回は少女等も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。(中略)私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければにらない、何故かと云えば若し吾々が進んで応じないならばも居所が判っている吾々の夫が責任を問われると私に語りました」

書証番号1794は日本軍陸軍中尉の宣誓陳述書であるが、次の一問一答が記録されている。

問「或る小人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供されたと言ひましたがそれは本当ですか」

答「私は兵隊達の為に娼家を一軒設け私自身も之を利用しました」

問「婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか」

答「或者は快諾し或る者は快諾しませんでした」

問「幾人女がそこに居りましたか」

答「六人です」

問「その女たちの中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか」

答「五人です」

(中略)

問「如何程の期間その女たちは娼家に入れられまていましたか」

答「八ヶ月間です」

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資料をたてにとった鋭い質問です。安倍首相がどのように答えるか注目です。

 

橋下ツイスト(2)―橋下は慰安婦の何が悪かったのか、それをはっきりさせるべきだ。

いよいよ面白くなってきた橋下劇場。今回はツイッターではなく、報ステが舞台だが、局アナの突っ込みはないにひとしいのでツイッターとしても読める。

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1.強制連行の有無について議論があるけど、強制連行の有無に関係なく慰安婦には謝罪すべき。

 

従来の歴史修正主義者は「強制連行はなかった」から性奴隷ではない、あれは売春婦と言っていたはず。しかし、逆風が反発が強くなったとみてとって「強制連行の有無を問わず謝罪すべし」と言い分を変えた。では、(金目当てで自発的に軍についてきたと主張していたはずの)売春婦になぜ謝罪するのか。謝罪すべき主体は誰なのか。そこがよくわからない。

 

2.「慰安婦が必要だったのは誰にでも分かる」発言だが「必要だった」の主語が省かれている。「主語」は「僕」ではない、主語は「当時の人たち、当時の世界各国」。当時の人たち、当時の世界各国は必要としてたんでしょという事実をいっただけ、実際必要とされたから慰安婦制度があったわけでしょ、もちろん今は慰安婦なんてダメ」

 

原文はこうだった。

> 「あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる」

  

「・・・は誰にでもわかる」と言ったら、「誰」には橋下も入る。「当時の人たち、当時の世界各国」が主語だと言い直しても、連合国の側ではどこも慰安婦制度を作っていない。「必要とされていたから、慰安婦制度があったわけ」であるならば慰安婦制度のない連合国側では必要としていなかった、必要と思っていなかったことになる。どれほど翻訳に工夫をこらそうが、橋下の説明は通らない。橋下が必要と認めていたことなら誰にでもわかる。

 

現在でも不幸にして、「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走って」戦う兵士は世界各地に存在している。ではなぜ、「今は慰安婦制度がダメ」となるのか説明してほしい。

 

3.風俗を勧めたのは悪かった。日本語の「風俗」にあたる言葉が外国語にはないらしく、売買春だと受け止められてしまった。これが英語力のないボクのミス。国際感覚がなかった。

 

米軍の司令官に米兵に対して風俗行きを勧めたという話だ。顔見知りでも何でもないひとに対してよく風俗を勧めたものだと思う。見も知らぬ相手に風俗を勧めるひとのことを日本ではポン引きというのだが、大阪市長ともあろう人がわざわざ沖縄下りまで出張してポン引きをするというのにはさすがに氷りつくだろう。

 

売春であるか、それ以外の性風俗かを問わず、部下に対して風俗に行って来い、と勧める上司がいる職場は気持ち悪い。大阪市庁は今どうなのだろう。

 

通訳は風俗という言葉の翻訳くらいはきちっとやったはず。橋下の英語力は0でもよい、0の方がよい。足りないのは国際感覚ではなく、人権意識。品位と礼儀。

 

 4.日本を正当化するつもりはない。日本が悪かったことはハッキリ認めなくてはいけない。

 だけど日本だけが性奴隷を使ってたというのは日本に対する侮辱だ。当時世界各国が女性を(性的に)利用していたことは紛れもない事実。日本も悪かったと反省するけれど、みんなが反省しなくてはいけない。

  そしてアメリカに沖縄で何をしたかを直視させる。沖縄の人権を守れ。本とはこれは国会議員がやるべき事だがそのくらいメッセージださないとアメリカは振り向いてくれない。

 

日本の何が悪かったかについては一切語っていない。慰安婦のどこが悪かったと言っているのか、そこがまず聞きたい。それを言わないことには責任も取れない、謝罪もできない。

軍隊における女性の利用(?)一般と慰安婦慰安婦制度の違いがわかっていないようだ。他の国々には日本ほど悲惨で大規模な性奴隷がなかった。だから批判されているのだ。米兵の沖縄における犯罪行為に話を広げるのは早すぎる。慰安婦に対して真摯な反省・謝罪ができていない政治家の抗議などアメリカは受け付けない。ましてや、ポン引きごときの抗議に。

 

 

5.「マスコミが誤報したから囲み取材をやめたのか?誤報なら取材に応じて誤報だと伝えるべきだと思うが」とのコメンテーターの質問に対し、

「マスコミが誤報したから囲み取材やめたんじゃない。記者は一言一句を全部チェックしろというが、そんなことできない。だったら明日から囲みを止める」

「外国人特派員には修正を求める。しかし日本人には修正なんかしない。日本人の読解力不足が原因だ、読解力を鍛えとけ」

 

 

意味不明。誤報というなら、どこが間違っているのか、ちゃんと言おうね。外国人には修正を求めるというが、英語力のないアンタは外国の報道をどうやって読んだのかね。日本人には修正しないって。それって日本人差別! 読解力不足というが、朝日・毎日は僕の言葉を逐一書いていると言ったのは橋下自身。自分の言ったことを書いた文章が読めなくなったのか。

 

安倍と橋下、互いに、あいつとは違うと言いあっている二人だがいったいどこがどう違うのだろうか。

1.安倍の見解

安倍は河野談話の見直しを再三述べたときに強制連行はなかったから、官憲や軍の責任はないと言った。あれは売春婦であり連れていった業者の責任だ、だから日本政府には責任はない、こういう見解だ(ただし、この後半部分を言っているかは確認していない、ただ安倍のお仲間たちが言っているので同じ意見であることは間違いがない)。

 

各国の非難、特にアメリカからの非難を気にして、日本軍慰安婦がかわいそうだった、同情している、今後はこのようなことがおこらない世界にしなくてはならないとは言っている(これはブッシュ大統領に迫られて口にした。この項は

紙智子議員が安倍首相の「強制連行の資料なかった」発言を追求している。にも書いている)。 

 しかし、慰安婦の境遇を考えたら可愛そうだとはだれでも言えること。日本政府の責任と謝罪を認めるかどうか、慰安婦問題はこの一点にかかっている。もちろん、これは口が裂けても言わない。 

 

 ところで安倍は慰安婦が可愛そうだ、同情しているという言葉はアメリカにつつかれて言ったということを隠しておきたい。もともとそういう考えを持っていたと偽装したい。特にアメリカに対してそれを示しておくことによってアメリカから余計なことを言われないようにしたい。そういう願望を端なくも示したのが、今年の一連の国会答弁だった( この件に関しては辻元清美議員がGJ!を果たしている。彼女のBLOGを見てほしい)。(追加 橋下市長の発言に関連し、質問主意書を提出しました にはもっと期待しています)

 

 安倍の戦略はちょっと前までは「強制連行なかった」論で防戦し、河野談話破棄を狙っていたのだが、アメリカなどの冷たい視線を感じて余計なことを言わない戦略に徹することにした。将棋で言えばアナグマ戦法と同じである。これは靖国問題などと同じく、歴史認識を政治問題化することはやめる、というのと同じ戦略である。 

 

 橋下が「当時は必要だった」などと発言したことについては、「安倍内閣、自民党の立場と全く違う」と言うが、「他党の代表の発言にコメントする立場にはない」と言うのだが、これは必要だったと思っていてもそれは言いたくないという苦しい事情なのだ。

 

今回の橋下の発言騒動がもたらした唯一の収穫は安倍が橋下と同じではないか、というアメリカのしつこい、しかも正当な疑念を感じて、安倍が歴史修正主義発言をより慎まなくてはならなくなったことである。

 

2.橋下の見解

 橋下も強制連行はなかったから、慰安婦は日本政府の責任はなかったということを主張していた。しかし、橋下は「慰安婦は必要だった」とまで踏み込んだ。これはさすがに、右翼政治家たちもそこまでは言わない。心の中ではそう思っていても、それを言うと女性たちの反発を食らう。したがって当時は公娼が一般的だった、当時の価値観は今とは違っていた、という線で収めていた。橋下は右翼が心の中では思っていてもあまり口にはしない女性観、戦争観を平気で口にするところがユニークだとは言える。 

 日本軍慰安婦がかわいそうだった、同情している、だけならだれでも言える。反発の火の手が強いとわかって橋下もあわてて言い換えた。問題は女性たちを慰安婦にした責任は誰にあるかだが、橋下もそれには触れずじまいだ。「強制連行の有無」論とは官憲がやってなかったら政府の責任はない、ということになるのだが、「もし、暴行・拉致・脅迫をやったのであれば日本は反省しないといけない」ということを防衛線に変えた。これも官憲が指揮していないなら日本は無罪だ、と逃げ口上が通ると思っているのだろう。

 

 橋下は海外から非難されていることに不満をもらす。そのため、議論をしてわかってもらえ、というのが橋下の基本姿勢である。強制連行の有無だけではなく、暴行・拉致・脅迫の有無が問題と言い方を変えた真意は不明だ。強制連行だと広義か狭義で水掛け論になると踏んで、話を一般的にしたのか、あるいは強制の内容をより具体的に展開するつもりかもしれない。 

  いずれにしろ、もしそういうことがあったら謝罪しないといけないと踏み込んでいるのは、旧来の歴史修正主義者とは一味も二味も違う。 

  歴史修正主義者にとっては日本は誤ったことをしていないは信念であり、彼らのアイデンティティそのものである。事実を見せても事実とは決して言わないのが特徴である。橋下の信念の中枢には伝統的右翼保守主義のように日本はいい国だ、美しい国だ、悪いことはしていない、という信念はない。日本は悪いことをしました、あるいはしたかもしれないくらいの言い方をするのに抵抗はない。ものごとをはっきりさせたい性格だから、悪かったら謝りますよ、謝ったらもうそこからは悪く言ってくれるな、というのが彼の真意だ。

 ひとつには彼の思想形成期は今よりもリベラルな思潮が多かった。リベラルな意見の流れに身を置いたことはあったのだろう。それよりさらに重要なのは部落出身者としての心のありようである。部落出身者もいろいろな社会への対応をとることがあるが、彼の場合は普通の社会から孤立することを死ぬほど恐れているのである。そのために彼のいわゆる「ふわっとした民意」から離れまいとする、そういう行動様式が身について離れない。その行動様式が国際社会を念頭においたときでも現れる。 

 そのためには国際社会と議論をして日本は悪くないということを理解してもらうことが彼の主張の骨格である。彼が「安部とは違う、安部は国際社会に訴えていない、私は訴え、議論する」というのがそれである。しかし、彼は歴史事実に対してまるで無知である。アメリカは人権や女性の権利については日本より確実に進んでいる一面がある。アメリカの方からは訪米しても面会するものはいないだろうと言われている。橋下はアラブの辺りでは自分の主張が正しく報道されているなどと言っているからこの夏はアラブを訪問するのがいいだろう。

 

橋下ツイスト(1)―橋下は確信がないまま、右翼の言説を垂れ流しているだけ。

橋下の言うことには「ねじれ」が多い。主張の中には矛盾が多い。言っていることはコロコロ変わって常に「ねじれ」を引き起こす。だから「ツイスト」なのだが、「橋下ツイスト」にはもうひとつ意味がある。これから私が橋下のツィートのストーカーになって逐条的に、ときには逐語的にからんで批判をしようということなのである。

それでは始める。これは2013.5.16のツィートに対するストーカーだ。

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笠井さん「論点の重きが変わってきているのかな」これも違う。もともと歴史認識を問われ、認めるところは認めて、主張すべきところは主張すべきとの文脈。当初より、慰安婦問題では強制連行の有無が重要な論点になると言うことのための発言。日本の責任回避のための論ではない。

 

強制連行の有無はどうでも良いと言うあいまいな態度は国内では良いのかもしれない。強制連行があろうとなかろうと恥ずべきことをやったのは事実だ。ただ強制連行の有無は世界的評価には大きく影響する。日本だけが特殊な性的奴隷を活用していたと認識されている。ここだ問題だ。

 

強制連行の有無は慰安婦問題の中核ではない。女性が望まざる性サービス、性労働を強制されたのか、否かという問題だ。それがあったからこそ、性奴隷と呼ばれている。性奴隷を設置したのは日本だけではないが、規模と悲惨さにおいては比類がない。世界が今もって指弾するのは慰安婦に対してきちんと謝罪・補償を行なわないばかりか、慰安婦問題を無視する政治家や勢力が依然として根強いからだ。

 

敗戦国として負わなければいけない責任はしっかり負わなければならない。責任回避は許されない。

 

敗戦国としての責任という言葉はどういうことなのか。戦争に負けたから責任を認めるわけではない。侵略戦争と戦争犯罪の責任を認めたからこそそれに対する責任を果たすべきなのだ。負けたら責任を持ち、勝ったら無責任というのでは正義がないではないか。

 

しかし戦場での性の問題で、日本だけが性的奴隷を活用していたと言うのは違う。性的奴隷の根拠は、日本が国を挙げて暴行脅迫をもって慰安婦を拉致し、仕事をさせたと言うこと。ここはどうなんだ?

日本だけではないにしろ、日本軍性奴隷が一番際立っていたのは隠れもない事実。それは名乗り出た被害者の数でもわかる。奴隷の定義に暴行・脅迫・拉致は必ずしも必要ない。甘言をもって誘ったり、だまして連れ込んでも奴隷にすることはできる。


 

この点を日本政府はあいまいにしている。強制連行があったのかなかったのか。日本政府は明確にすべきだ。日本の責任を回避するためではない。世界からの不当な評価について異議を申し立てるために。もちろん、強制連行の有無にかかわらず日本が反省することは言うまでもない。

 

強制連行の有無に問題をすりかえてきたのが自民党政府のやり方だ。そもそも世界は強制の有無などを問題にしていない、性労働の強要こそが問題の中核だ。ところで、わからないのは強制連行がないから性奴隷ではないといいながら、日本はなにを反省すべきというのか意味不明。

 昔、女子高生コンクリート詰め殺人事件というのがあった。同級生の女子高生をだまして自宅に連れ込んだ挙句、仲間の高校生と強姦し続けた末に殺害に及んだという世間を驚かした凶悪事件。この事件では暴行脅迫をもって拉致したわけではない。しかし、連れ込んだあとは誰が見ても性奴隷。

 

慰安婦の強制連行の有無は、現在日本政府はあいまいにしている。河野談話で明確にしていない。むしろ2007年閣議決定では、直接証拠はないと言う。そして先日の閣議決定では、新たな証拠が出てくる可能性があると言う。日本政府は逃げている。これが国益を害している。

 

河野談話は軍が慰安所を設置、管理し、軍は業者が甘言、強圧によって慰安婦を募集することを知りながらこれを認め、慰安婦を移送し、痛ましい生活を慰安婦にさせたことを明確にしている。これを覆そうとすることこそ、国際的な批判を浴び、日本の信用を失墜させることである。 

 

文献証拠だけでなく、慰安婦の証言、第三者の証言を重ね合わせて事実認定をすることもできる。人の供述のみで事実認定するノウハウは裁判で確立されている。日本政府は、慰安婦の強制連行の有無について、本気で事実認定すべきだ。そしてこの論争に決着を付けるべきだ。

 

すでに文献証拠でも日本政府・軍の関与は明らかであり、慰安婦の窮状については慰安婦の証言が多数ある。これ以上なにが必要か。論争するのであれば、資料を元に反論せよ。思い込みでこれ以上慰安婦を傷つけることは許されない。

ナイーブさんとの対話(2)

>軍が関与はしていますが。関与したということが「強制」したとは国語的に言えないのではないかと思います。 

 

軍というのは一応、慰安婦制度やその管理運営を決めた、軍の中枢のことです(これでいいですよね)。で、そういう軍の幹部は何も現場に行って慰安婦に日本刀を突きつけたり、脅したりするわけではないです。ただ、内地を遠く離れた占領地や戦地に日本軍部隊にいったん慰安婦として送り込まれた女性たちは性労働をしろ、と現地の将校に言われてなにか抵抗ができますか? 女性たちがなにか不満を持ったとして、それを言って行く先がありますか。そのように慰安婦の人権を守るような仕組みは外地にはいっさい存在しないのですよ。すべて男たち兵士の言うがままに性労働を提供するしかないではありませんか。それを強制と言わなかったら、なにが強制ですか。

 

 

>時代背景もあり、明治時代に弁護士団体が身売りを禁止するまでは、東北地方などでは子供を売り渡す人身売買が行われており、昭和に入っても、隣国の韓国では日本の一部であり、朝鮮人のブローカーによる売買であり、それを取り締まったという記述が、あります。

 

その通りで、日本も朝鮮も戦前には人権感覚が低く、人身売買によって女性が性労働を強要されることが一般的に行なわれていたのです。ただし、諸外国の批判もあり、日本政府は「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」を締結し、国内では人身売買に基づく性労働を禁止する民法を制定しています。

 

 

>吉見義明著「従軍慰安婦史料集」により慰安婦を斡旋する人々を軍が取り締まってという「強制」よりは程遠いと思える記述があります。 

 

ナイーブさんは「従軍慰安婦史料集」の本文を読んだのですか。そうではないでしょう。小林よしのりの解説を読んだだけでしょう?

史料集には「陸軍省副官通牒」と「内務省警保局長通達」という史料があり、小林よしのりが「悪い業者が慰安婦を集めるのを取り締まっていた」などと間違った解釈を広めています。

  

日中戦争が始まり、大量の日本兵を中国に送り込んだ結果、多数の慰安所が必要になりました(これは軍が必要と思ったということですよ)。軍は業者を選定して慰安婦募集を任せました。ところが業者は誘拐まがいの事件まで起こして内地の警察が業者を検挙するという事件がおこりました。

 

ここで問題はなぜ、問題を起こすような業者が出てきたか、ということです。当初の軍慰安婦は内地で公娼すなわち売春を行なっているひとに声をかけられました。しかし、戦地・占領地に行ってすさみきった兵士の性の求めに応ずるということはさすがに国内で売春に携わる女性たちも嫌がったのです。内地の公娼だけでは絶対的に数が足らないので素人を新たにリクルートするということが当然起こったのです。素人女性がそのような業務に応ずることはさらにハードルが高いことはいうまでもありません。正常な形での女性の自由意志による慰安婦への応募はほとんどありえません。これは自分の身内がそのような慰安婦に応募するということを想像すればだれでもわかることです。慰安婦を多数を集めるためには業者は違法・脱法によらなければほとんど目的を達成できなかったのです。

 警察の方では当初、軍が業者を通じてそんなにたくさんの慰安婦をかき集めていることは知りませんでした。業者を捕まえてみたら、軍の御用だというのでびっくりした様子が警察資料から伺えます。

 ここで、当時の警察と軍の力関係について解説します。当時は軍の横暴がまかり通るようになったことを表す、こういうエピソードがありました。ある陸軍兵士が公道上で交通違反を起こしたので、警官がこれを逮捕しました。ところが、陸軍はこれに激怒して警察の長官を呼びつけて、陸軍兵士は恐れ多くも天皇陛下の管轄にある。警官ごときがこれを逮捕するなど、越権行為だといって抗議したのです。この剣幕に恐れをなして、警察は陸軍兵士を釈放したのです。交通秩序の維持に関しては陸軍兵士であろうが、だれであろうが警察の指示に従うというのが当たり前のやり方ですが、当時は軍の横車がそこまで通っていたのです。

 

このような力関係にあったので、警察は軍にこのような事件があり、警察は治安を維持する我々は大変困っております、と下手に相談したと思われます。そこで、軍は業者に目立つことだけはしては絶対駄目だぞと言い含め、警察にはこれこれの業者は軍関係なのでよくよく注意しておけよ、ということになります。警察は本来の人民保護の業務をまっとうするのではなく、目こぼしをする約束をしたのです。それがこの二つの通達の意味です。

 

違法な募集が行なわれているだけなら、警察がバンバン取り締まり、警察が軍に対しておたくが選定した業者がこんな不埒なことをしていると、注意を喚起すればいいはずで、こんな資料が残るはずはないのです。

小林よしのりは「軍が違法業者を取り締まった」などと言っているようですが、人身売買をする違法業者を摘発するのは警察の管轄ですから、軍がが業者を取り締まることなどありえません。警察は本来違法な人身売買が行なわれていることを知りながら見て見ぬふりをする姿勢をいっそう強め、さらには従来の渡航規定の一部を棚上げして、軍に便宜を図ります。

 

人身売買に関する規定では売春を目的として海外に渡ることを禁止していました。ところが軍との談合の結果出された内務省警保局長通達では①売春を目的として、②満21歳以上で、③性病に罹っていないもので、④日本軍がいる華北・華中に行くものに限っては当分の間、黙認する、という方針を決めたのです。

 

女性を前借金で縛って内地から海外に送り出すことは、その女性が内地の売春婦であろうが、新たに海外で売春に従事することになった、現在は素人の女性であろうが、違法だったのです。また、21歳未満の場合は売春婦であっても本人が同意しても渡航してはならなかったのですが、これも目こぼしが行なわれることになりました。これは「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」を日本が結んでいたからです。