天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

阿比留記者がつかこうへい氏を出汁にして慰安婦否定論を書いた

阿比留瑠比記者がつかこうへいさんを出汁にした慰安婦否定論記事を書いている。在日韓国人であり、著名な劇作家である、つかさんを利用すれば、説得性のある否定論を書けると踏んでのことであろうが、つかさん、そのひとの慰安婦に対する認識が、慰安婦の問題を論じる座標軸の原点にできるかと言えばとそうとは限らない。


 

 当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』という著書を書くため、元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。
  「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢 いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されてい た」

 「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」



つかさんが元日本軍兵士、「慰安所関係者」に取材したというのは事実だろうか。
元日本軍兵士というのは1990年代当時はまだ多く生存していただろうが、証言してくれるひとを見つけるというのはかなり難しい。
私ごとだが親戚などに慰安婦のことを尋ねるというのはちょっと考えられない。南京事件の当事者に尋ねるよりももっと難しい。わかるだろう。
「慰安所関係者」というのはもしかして、慰安所の経営者、いわゆる楼主のことか。
慰安所を使用した兵士なら実は掃いて捨てるほどいる。しかし、慰安所の経営者はものすごく少ないはずだ。
それに慰安所のユーザーである兵士はまだしも一般的に罪はない。しかし、楼主と言えばいわゆる「強制連行」の主犯と目される。犯罪者として見られる恐れは高い。
そんな楼主、あるいはそれに連なる人物がおいそれと取材に応じてくれるか。何よりこれだけ証言の類はあるけれど慰安所の楼主の証言は滅多にない。*1
つかさんが取材したというのは単にさまざまな文献を当たっただけではないのか。

ま あ、何人かの元兵士からなら、運よく証言を得られたかも知れない。しかし、それは慰安婦に親切にしていたとか好意を受けていたとかの兵士であり、脛に傷を 持つような経験を持つ元兵士ではないだろう。罪の意識が少しでもあったなら、自分に都合の悪いことだけは絶対に伏せておく。
もうひとつ、慰安婦の ユーザー、ホルダーに取材したとしても、当の慰安婦本人から取材しなければ慰安婦の本当の姿は浮かび上がらない。要するに犯罪者と共犯者、(と言って悪け れば見てみぬ振りを決め込んだ目撃者)にだけ事情を聞いて被害者から聴き取りをしない犯罪捜査のようなものだ。

まあ、阿比留記者も故人を出汁にして好きなことを書いたものだ。


1992年に従軍慰安婦として歴史問題、女性の人権問題として注目をあびる以前においても慰安婦の 話題はあった。そのイメージは兵士にほしいままにされる気の毒な女性たちというものであり、戦後の映画や、通俗小説で繰り返し描かれていたイメージであっ た。日本では「奴隷」という言葉の使用例は欧米に比して限られている。日本人はアメリカ黒人奴隷などのイメージしか持っていないから「鎖につながれた」と いうイメージにつながりやすいのだろうが、慰安婦ではさすがにそれはない。しかし、「殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在」は慰安婦の証言に頻 繁に出てくる。反面、「将校に恋をして お金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合い」の状況もあるにはあった。慰安婦と いえども10万人も20万人もいたのであ ればさまざまな境遇がある。兵士だって玉砕の激戦もあれば、飢餓戦線をさまよう生き地獄もある。あるいは孤島に配置されたが、米軍にもパッシングされると いう強運の部隊もあった。映画や喫茶店というのがどれだけ恵まれた境遇か、全体を通して感じてほしいものだ。さまざまな証言を通読すれば、限られたケース であるがゆえにかえって記録として残ったことがわかっただろう。


慰 安所従業婦は軍における正式名称であった。これを短くすれば慰安婦になる。また、「慰安婦」という、性労働の強制をぼかした名称はあったし、軍に付き従う形で性労働を強制されていたことも事実。実態を 示す名前を付けることが憚られていた存在であるがゆえに、戦後になって実態に近づける呼び方が試みられたのである。有名にしたのは千田夏光氏の著作 であったが、それ以前にも「従軍慰安婦」と呼ぶ人があったのは図らずも、その実態・本質についての認識が一致していたことの表れである。

 現代史家の秦郁彦氏の研究によると、慰安婦の4割は日本人であり、朝鮮半島出身者はその約半数だった。この事実についても、ほとんどのマスコミや左派系の政治家らは気付かないか無視している。

 筆者は12年10月に当時、元慰安婦に一時金(償い金)を支給するアジア女性基金の理事長だった村山富市元首相にインタビューし、こう問いかけたことがある。

 「慰安婦の多くが日本人だったことはどう考えるのか。今後は、日本人も一時金の支給対象とするつもりはあるのか」

 すると、村山氏は「うっ」と言葉に詰まったきり、何も答えられなかった。同席した基金理事が、慌てた様子で「今の質問はなかったことに」と取り繕っていた。



この段落はつかさんの認識ではなく、阿比留記者による秦氏の説の抽出と阿比留記者の認識である。
朝 鮮人慰安婦より日本人慰安婦が多かったという事実はない。元兵士による証言、性病調査統計からの類推によって少なくとも朝鮮人は日本人の倍以上だったこと が推定される。日本人の方が多かったというのは右翼・歴史修正主義者に限られている。つか氏の慰安婦に対する情報収集はかなり不正確なものだったようだ。

日本人慰安婦に対する補償は日本人の 各種戦争被害者に対する公的補償制度との整合上でどうするかはまだ決まっていなかった。また、日本人慰安婦として名乗りをあげて補償を要求するひとがひと りもいなかった。それが日本人慰安婦に対する補償について即答できなかった理由だろうと推測される。村山氏らの反応が阿比留記者の描くようなものであったかどうか、村山氏サイドの証言がない以上不明である。

 話を戻すと、つか氏は「営業行為の側面が大きくても、人間の尊厳の問題なのだから、元慰安婦には何らかの誠意を見せ続けるべきだ」とも語ったが、歴史の見方はあくまで公正で透徹していた。
  「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏を作ろうとしてい たのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがってい るようだけど」



つかさんの、営業的側面が大きかったという認識は誤りであるが、人間の尊厳の問題として捕らえていたことはよくわかる。
歴 史学者・研究者はそもそも「強制があった」ということを主張しており、強制とは強制連行と強制使役(性行為の強制)のことであった。そのうち強制連行とい うことだけを取り出して問題にしたのは右翼・歴史修正主義者の側であった。強制連行は騙したり、脅したりして連れていくことを含んでいる。これを銃剣を突 きつけて官憲や軍人が連れていくことに限ると思わせ たのが右翼と右翼のマスコミであった。約260万人の兵士に100対1とか150対1の割合を目標として慰安婦を供給しようとすれば、できるだけスムース に波風が立たな いように連れて行くことを心がけるだろう。それくらいは歴史学者、研究者もお見通しである。慰安婦の 徴募においてはまず、甘言によって騙して連れていく、 業者の手中に 落ちたところで、すでに逃げられ ないようにする、逃げようとしても逃げられないようにしてある。騒げば脅される。慰安所では暴行・脅迫によって性行為を強要された。はじめからそう主張し ているのである。つかさんは右翼のマスコミに騙されたのである。

 そして最後につか氏が述べた次の言葉を、筆者は今こそかみしめたいと思う。

 「人間の業(ごう)というか、こういう難しい問題は、自分の娘に語るような優しい口調で一つひとつ説いていかなければ伝えられない。人は、人を恨むために生まれてきたのではない。歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか」
 つか氏のような視座が、もっと世界に広がることを願う。


歴 史にはひどい話がいくらでもある。差別も圧制も殺戮も強姦もある。それも人間の業から来ているのは確かだ。歴史にもてあそばれた個人はひとを傷つける場合 もあるし傷つけられる場合もある。優しい穏やかな目で見るということは傷つけられたひとたちの目から歴史を見るということではないか。それはなにも傷つけ たひとたちに対する復讐ではなく、傷つけた側に立ったひとが考えを改める機会を与えることではないだろうか。

つかさんの言葉はよく心に響 く言葉である。しかし、阿比留記者が「つか氏のような視座が、もっと世界に広がることを願う」などと言うのを聞いても阿比留記者の今までの主張とどう関る のかわからない。傷つけた側を優しい穏やかな目で見よという主張に持っていこうとしているのであれば納得できる。さすがに、つかこうへい氏はそんなことは 言わない。

(「娘に語る祖国 「満州駅伝」従軍慰安婦編」P149-153)
今日も満州に愛の壊れる時がきた
「鬼塚さん独特の、よく通る、ドスの利いた声が響きました。
『池田、何をしてるんだ』
『・・・・』
『脱走する気か!』
スンジャも私も何も言えず、立ち尽くしていると、
『何のためにオレが駅伝大会を開いてやってると思ってんだ。慰安婦が脱走なんかせんでいいようにやっとるんだ。その気持ちをどうしてわからんのだ』
 周りを兵隊たちに取り囲まれ、私たちは縛られ、木にくくりつけられました。
『知ってるな、池田。脱走は銃殺だと』
『はい』
『い いか、池田、じゃあこういうことにしてくれ。おまえはこの広い満州平原の中で駅伝の最中に便所に行きたくなった。そしてこいつが水を飲みに来た。そして二 人で休んでいるところをたまたま、脱走したと思われて誤って銃殺されそうになっているってことにな。それでことを穏便に運んでくれ』
『しかし上等兵殿』
『オレがいつも歌ってるだろう。
“今日も満州平原に愛の壊れる時がきた。
 見よ、あの真っ赤に沈みゆく美しい夕陽を!!
 あの夕陽に白く縁取りをすれば、日の丸の形になる!!”
 この詩はいい。
 ここんところを汲み取ったならば何か言えるだろう。
 大体なあ、オレたちが何十回も何百回も抱いた女と何してんだ!』
『はっ』
『わからんのか!第一、兵隊が朝鮮人に、しかも慰安婦なんかと恋に落ちて脱走したなんてことになったら、大日本帝国が根底から揺らぐ!』
 そう言ってガンガン殴られました。
『オレは常々言っているだろう。愛、その次には“に”から始まるあの言葉。“愛憎し”だよ“愛憎し”。
 なあ。その言葉を刻みつけてもう一度何かを言ってみろ』
『上等兵殿』
『池 田、いいか。嫌がる女を無理矢理連行し、抵抗したら傷つけ殺し、病気持ちにさせておきながら変な情けをかけた日には、大日本帝国は根底から揺らぐ。この戦 争が終わったあと、“あれは狂っていたんだ、だからあのことは仕方なかった”そう言い切らねばならんのだ。それにはな、愛だ恋だを芽生えさすだけの理性な どあってはいけないんだ。でなければ、大日本帝国が根底から揺らぐ!!
 そこんとこを汲んでもう一度何かを言ってみろ!!』
『上等兵殿。こいつは可哀相な女であります。朝鮮から慰安婦として連れてこられて、日に何十人も客を取らされて、この女は可哀相な女であります。どうか助けてやってください』
『それは分かってる』
『好きになってしまったのであります。誘ったのは自分です。こいつは悪くありません』
 その時、スンジャが前に身を乗り出し、はがい締めにする兵たちを振り切るようにしながら叫んでくれたのです。
『違う。この人悪くない。朝鮮から連れてこられて、何人も男取らされて、私たちが何した。この人だけが、人間らしく扱ってくれた。自分の時は休めって言ってくれた。この人が死ぬなら自分も死ぬ』
『よし、そうか。撃て!!』
 そう言って、右手を高々と振り上げようとした、ちょうどその瞬間でした。サイレンが鳴り響き玉音放送が流れたのです」
玉音放送?終戦ということですか」
「そうです。なんか大騒ぎになっちゃって、そのなかで私はへたりこむようにして地面にしゃがんでいました。ほっとするというか何というか、とにかくただ座り込んでいました」

 

つ かさんは俳優を舞台の上でとことん追い込みながら、俳優がつかさんに対して生身の反応をしていく過程を戯曲に取り込むというユニーク作劇法を駆使してい る。つかさんの作劇法には在日韓国人として生きてきた中で彼の精神に深く織りたたまれた強要と反抗、愛と憎しみが出演者にも降り注がれる。この短い抜書き でも上等兵が池田と慰安婦を追い込みながら、出てくるセリフを待つところにそれが見て取れる。それで、私の印象だが、日本軍が慰安婦と兵士を追い詰めてい く状況、男女の普遍的な愛がきれいに描かれている。つかさんはあまり正確ではない情報も仕入れたと指摘したが、つかはそのような表層の情報によってではな く、慰安婦の置かれた本質的な状況を描きだしたと言える。

*1:従軍慰安婦と15年戦争<ビルマ慰安所経営者の証言>西野留美子(明石書店)が私が知る1例