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天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

秦郁彦氏の慰安婦推定方法について

 「荻上チキ・Session-22」の「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」を聴く―吉見・秦対談を聞いたとき、秦氏が「私は慰安婦の生還数を計算したことがあるんですよ」と自慢そうに言うのを聞いてあきれました。

秦氏の歴史上の数字の扱いがいい加減なのは南京事件の研究を通じてよく知っています。一方、永井和先生には秦氏の慰安婦総数についての計算を批判した投稿があります。批判は正鵠を得ているのですが、正直言って長い。長すぎてなかなか頭の中に入ってきません。そこで自分の勉強のためによく読んで私が理解したところを書きし直してみました。


 秦氏はその著書『慰安婦と戦場の性』第12章で慰安婦数を推計しています。「狭義の慰安婦は多めに見ても二万人前後であろう。広義をとっても二万数千人というところか」との結論を下しています。

 秦氏が用いた推計法は二つで、ひとつは陸軍の慰安施設設置数から推計するものです。もうひとつは慰安婦1人あたりの平均兵員数(これを秦氏は「適正比率」と呼んでいます)で、兵員総数を割り算して求めるものです。ここでは後者の「適正比率」推計法を批判します。

こ の平均兵員数というものを軍が正式に決めていたりするのであれば、ある程度の目安として使えるでしょう。しかし、個々の部隊ではその目安を述べている資料 もないではないのだが、多くは予定数で確実なものではないので、次善の推定法として、内地の平時における売春動態統計から推定しています。これもまた、完 備した統計と正しい論理によって推定されるのであればひとつの目安として使えるでしょう。

 秦氏は「適正比率」を慰安婦1人あたり150人とします。この「適正比率」=150人という推計は正しい論理手続きが踏まれていません。ふたつの大きな誤りがあり、その結果導き出された数値の妥当性はまったくありません。そこのところを以下に説明します。

 問題の推計法は『慰安婦と戦場の性』(新潮社、1999年)406ページに書かれています。

>平時の公娼統計(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)を参考にしつつ計算すると、250万人÷150人=1.6万人となる。(漢数字は算用数字になおして引用した)

この1.6万人に慰安婦の交代を考慮に入れて求めた結果、慰安婦数は「多めに見ても二万人前後」という結論を下しています。交代というのは慰安婦が前借金を返済して帰郷するとか、病死、戦死などに至って不足数を新たな慰安婦が埋めるという予測値です。

秦氏の推計のサマリー

 日本の内地の公娼統計に芸妓・酌婦・娼妓とよばれる接客婦(これが「三業の婦女」です)が20万人いた。1937年にその接客サービスの顧客(「遊 客」)は3000万人いた。よって、接客婦1人あたりの「遊客」の数は150人となる。日本軍の将兵数と慰安婦の比率もこれと同じ比率だという仮定に立っ て、この比率を1944年11月時点の外地所在の陸海軍軍人軍属総数250万人(これは秦氏の独自の推計数)を母数として、それに対応する慰安婦数を求め ると1.6万人となる。




 しかし、以下に述べるように、秦氏の推計には二つの大きなの誤りがあります。第一の誤りは「3000万の遊客」は「三業の婦女約20万」の利用客ではなく、娼妓の利用客です。

  「3000万の遊客」と「三業の婦女約20万」という数値はいずれも、秦氏の『慰安婦と戦場の性』の30頁の「戦前期の内地公娼関係統計」という表にあり ます。脚注からこの数値は、『昭和国勢総覧』第3巻の388、389頁にある二つの表「警察取締営業の状況(2)」(大正13年~昭和16年)(これをA 表とする)と「興業と遊郭(2)」(大正15年~昭和16年)(これをB表とする)を元にしていることがわかります。

 ところが、A表に は、「芸妓」「酌婦」「女給」の人数がありますが、「娼妓」と「遊客」の人数はありません。「娼妓」と「遊客」の人数は、B表に記されています。したがっ てB表の遊客は娼妓を利用した人数です。ところが秦氏はA表とB表を合成したときに、「芸妓」「酌婦」「女給」と「娼妓」の人数を三業の婦女20万とし て、その利用者である遊客の数は娼妓の利用者数を当てたのです。

 したがって「(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)」という結論は無意味です。もし、推計の論理に他の誤りがなければ、「3000万の遊客」を「4.7万人の娼妓」で割った数値で(約638)を元に計算すれば一応の数字は出ます。

 しかし、「638対1」で計算すれば慰安婦数は、250万人/638=3918人となります。250万人の将兵の性の相手をわずか4000人足らずの娼妓でまかなうことができるか、誰が考えてもおかしな結論です。これは第二の誤りのせいです。

 第二の誤りは内地遊客数(延人数)を実人数のように考えたことです。遊客数というのは娼妓の性サービスを求めて貸し座敷を訪れた男性の1年間の延人数です。これを娼妓の数で割って出るのは、娼妓一人当たりの年間接客数に過ぎません。
 
これを数式にします。
遊客数=Y
婦女数=F
婦女一人当たりの年間接客数=R
Y÷F=R という関係式が成り立ちます。
もし、YとRが既知ならば、F=Y÷RでFの値を求めることは可能です。

秦氏の推計法は内地の売春者一人当たりの年間利用客数(R)と外地慰安婦の年間利用客数が同じと仮定して計算するわけです。つまり外地慰安婦一人当たりの年間利用客数もR。この仮定自体は棚上げしておきます。

秦氏は外地における日本兵実数(J)をいきなりRで割って慰安婦数(I)を出そうとしました。
すなわち、「J÷R=I」としたのです。

し かし、(J)は外地において内地の遊客数(Y)に相当する数字ではありません。この数字は兵士一人当たり年間慰安婦利用回数(K)がわからないといけませ ん。Kがわかってはじめて日本軍兵士年間慰安婦延利用回数(=K×J)がわかります。これが内地の遊客数(Y)に相当する数字です。慰安婦実数(I)とし て関係式を一応作れば

K×J÷R=I
よって、
J÷R=I/K
慰安婦実数を兵士一人当たり年間慰安婦利用回数で割った数(?)。この意味を説明することができるひとはいないでしょう。意味のない数字です。

もしも、兵士一人当たり年間慰安婦利用回数(K)が1と仮定すれば、
J÷R=Iとなって見事に慰安婦数を推定できます。もし、慰安婦数二万人が正しければ、K=1が秦氏の推計の結論になってしまう模様ですが、まさか、血気盛んな年齢の男子に1回だけ女をあてがっておけば、強姦がなくなると軍が考えたわけはないでしょう。

さ て、先ほど棚上げしておいた、秦氏の仮定の内地の娼妓一人当たりの年間接客数(R)と外地慰安婦の年間接客数が同じという仮定はそもそも正当でしょうか。 正しく計算したときの娼妓一人当たりの年間接客数638人を1日当たりにすると1.7人になります。慰安婦の証言でも兵士の証言でも慰安婦は1日平均10-20人 くらいの接客をこなしていたようです。平時の内地での接客はひとりに十分時間をかけないと満足をしてもらえません。一方戦地ではあわただしくことをすまし て数をこなさなければなりません。そういう状況の違いは一切考慮されていないようです。


  秦氏はこういう推定には向いていないと思われます。あちこち数字を弄り回しては、自分の予断に合わなかったら、その推定法の前提を捨てる。前提はとっかえ ひっかえして自分の予断に合う数字が出たところで満足してやめる。だいたいそういうやり方だと考えて間違いがないでしょう。

 それで、慰安婦の実数はどの数値が正しいのか。秦氏の『慰安婦と戦場の性』第12章403ページには「慰安婦の数的規模に関する諸説」という表があり、吉見義明が5万(下限)-20万(上限)、秦郁彦が6万-9万、林博史数万-10数万と推定しており、中国、韓国の研究者が30万、40万の説、そして最低が板倉由明の3万となっています。

 秦氏は従来の自説を本文では下方修正しました。実は南京事件の虐殺者数の算定のときに秦氏はなんの注記もしないまま、板倉の推定を下敷きにしてそれを適当に変えています。板倉はいわゆる「適正比率」を150対1で計算し、慰安婦数3万と算出しています。秦氏の上記の不思議な推計方法は案外、これに合わそうと試算したものではないでしょうか。

 これと同様の表はネットでは 慰安婦問題とアジア女性基金 慰安所と慰安婦の数 で見ることができます。私はこれらの推定の原資料に当たるほど詳しくないので、真ん中のあたりかなと思っています。