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天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

小林よしのり、極悪の反人権漫画家の慰安婦論を討つ(2) 

 

慰安婦の実状をベースにした論説の部分であるが、事実認識のお粗末さに驚くとともに、慰安婦に対する同情心のひとかけらもないことに唖然とする。


もちろん、慰安婦になった女性の中には、貧困な農村から親に売られた女性もいたわけで、残酷で不幸な体験だったことは間違いない。年端もいかぬ若い娘が見知らぬ男に体を売ることを強制させられるというのは、筆舌に尽くし難い苦しみだったはずである。

  ただ、もしその仕事がなかったらどうなっていたかを想像してみることも必要だ。一家全員が餓死していたかもしれないのである。女性が大金を稼げる仕事は当時、そうそうなかった。 


 

  昭和初期は冷害が続発し、東北地方では食に事欠き、収入が途絶した農民が多数いた。しかし、普通の親ならば手塩にかけて育てた娘をすすんで売りに出すはず はない。親が自ら売り払ったというよりは貧困家庭を見出だしては商売にしようとするひとたちに食い物にされたのである。



 まず、娘を売るということは人身売買であり、当時の法律でも違法だった。しかし、当時のことだから金銭貸借条件、労働条件について正しい説明をしなくても通っていた。人買い業者はこのような法の抜け穴を利用していたのである。
  娘を手放した親にしてみれば例え一時的に借金を返せても、うち続く冷害のために貧困生活は逃れられなかった。また、娘たちが背負う前借金は高利であり、貸 し座敷の経営者の巧妙な仕掛けのためにいつまでたっても売春稼業から足を抜けないのが実情だった。このような実情を「大金が稼げた」とか「餓死を免れたか も知れない」などとイケシャシャーと肯定的に美化する小林の人間性を疑う。

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毎日新聞2001年1月30日

には人買い業者にだまされて娘をたった33円で売ってしまった農家の悲劇が載っている。

  ところで、明治以後の日本で餓死者が出たのは明治初期と戦後すぐの二回である。冷害で身売りが多かった昭和6、7年頃に餓死者は出ていない。慰安婦の徴募 がはじまったのは昭和12年(1937年)のことであり、貧困による農家からの身売りと慰安婦の徴募は直接の関係はない。

なのに、なぜ小林が「餓死の恐れ」や「大金を稼げた」などの大嘘でも言わないと兵士たちに女性を人身御供に捧げることの理由を見つけられなかったからである。

 慰安婦を募集すれば、朝鮮人女性や中国人女性だけでなく、日本人女性からも応募が殺到したのも事実である。慰安婦は当時の大卒初任給の10倍近い高給取りで、故郷に家を建てた者も多かった。こういった事実にも目を向けなければ慰安婦の実像は見えてこない。

 

慰 安婦を募集によって集めたという事実はまったくない。存在しない。第一、兵士の『慰安』などという仕事を公然と口にして誰が行くのだろうか。ちょっと、頭 がおかしいのではないか。開いた口がふさがらないとはこのことだ。このような歪んだ常識を持つ小林に慰安婦問題をこれ以上語らせてはならない。

先日書いたばかりのエントリーだが。 

「募集広告」を見てたくさん集まったはずだから、強制連行はなかったって・・・。気は確かか?

 

 

小 林はおろかにも朝鮮の新聞に載ったという二枚の新聞広告を見て妄想したのだろう。中国でも日本でもそのような広告はない。日本でそんな広告を出したら、顰 蹙を買う。慰安婦を募集すると言ってもそれは軍や警察、業者の間で内々にやり方を決めたこと。世間に出せるようなことではないのはわかった話だ。

ところで小林は漫画「ゴーマニズム宣言」で日本軍は 悪い業者を取り締まっていた証拠がある、などと言っていたが、募集広告で殺到するのであれば悪い業者が横行するはずもないではないか。

 

慰安婦は高給取りで故郷に家を建てた」ーこれもまた、馬鹿げた妄想である。慰安婦は高給取りだったという話はある。しかし、それは戦中の額面にすぎない。戦後にたくさんのお金を持っていたという証言は存在しない。貰った金で慰安婦が家を建てたという証言も資料もない。小林はついこの間までは「家を建てたに違いない」と言っていた。小林の脳内はいまだひとり伝言ゲームの最中である。

 

 

 橋下は「戦場における性」というものに切り込んだ。死と隣り合わせの極限状況において、性を求める兵士たちの気持ちに思いを寄せたのである。


それは小林の思い入れに過ぎない。橋下はそのような文学的感性で発言するキャラではない。 

 

 兵士と慰安婦の関係は「性奴隷」という言葉で括れるようなものではなく、様々な感情や交流があった。


 感情の交流があるから性奴隷ではない、ということはない。古今東西、奴隷と奴隷主の愛情の物語は無数にある。奴隷かどうかは奴隷主が奴隷とされる人に対して思うように動かす強制力を持ち、行使しているかどうかによる。

 

  支那派遣軍慰安婦慰安係長の手記『武漢兵站』(山田清吉著)にはさまざまな慰安婦のエピソードが出てくる。これから前線へ出るという青年将校が、ある慰安 婦へ2000円という当時としては大変な大金を預けた。その将校は、「今度は生きて帰れない。前線ではお金を使うこともないから、君にこのお金を全部あげ る。前借(借金)を返すのに使って欲しい」といい、「そんなことを言わないで、もう一度訪ねて来てください」という彼女の言葉も聞かず、お金を置いていっ た。だが彼女は一銭も使わずにこの慰安係長のもとを訪ね、「兵站に寄附しますから、何かに使ってください」と差出したという。彼女はその際、「もしあの将 校さんがもう一度着てくれたら、自分の身銭を切ってでも遊ばせてあげる」と言ったそうだ。

 

  これは一部の例に過ぎず、ほとんどは無機質なセックスが繰り返されていたのかもしれないが、必ずしもそれだけではなく、死が差し迫る中、女性のぬくもりを 感じたい、故郷の話をしたいといった心の交流や癒しを求めた日本兵も多かった。また、若い兵士を抱えた上官の中には、「女も知らずに死んでいくのは可哀想 でならない」と慰安所に連れて行く者もいた。

  兵士と慰安婦のまことに麗しい愛情の物語だが、小林ははたしてこの本を読んだのか。

 この慰安婦の名前は三春という。三春は将校からもらった2000円で前借金を返し、自由の身になれるはずだった。ところがこうして外からまとまって入った金で借金を返すことは許されていなかった。前借金はあくまでも 体を売った金で返さなくてはならない決まりだった。その決まりを作っていたのは業者ではなく、軍だった。つまり、前借金はただの貸借関係ではなく、あくまでも性奴隷制の隠れ蓑として使われた口実だったのである。

 小林は都合のいい女性の話だけ取り上げているが、漢口慰安所にいた17人のうち4人は朝鮮人女性で、そのうちの1人は自殺。一人は病死。一人は16歳で未成年、ということは法律違反なのだが、軍は営業を認めていた。日本人慰安婦さえ、「こんなつらいところに 1日だって辛抱できやしない」「もう積慶里(慰安所のあった場所)には死んでも帰らない」と叫んだと山田は書き留めている。

92年1月の朝日新聞で「私は漢口で慰安所の監督をしていた。軍が慰安所を統制、管理していたのは誰でも知っていること。」と述べている。

『武漢兵站』についてはhttp://www.geocities.jp/forever_omegatribe/wuhan.htmlを参照のこと。



  これまで慰安婦問題は、かわいそうな元慰安婦のお婆さんと悪の旧日本兵という対立構図だけで語られてきたが、なぜ慰安婦には同情するのに、自分の国を守る ために戦った日本兵には同情しないのか。なぜ死を目前に性を求めた心理状況に思いを寄せられないのか。日本のために、我々のために死んでくれた若者に対す る「情」を取り戻す。わしが慰安婦問題を戦った根底には、その思いがあった。


「か わいそうな元慰安婦のお婆さんと悪の旧日本兵という対立構図が語られた」などという事実はない。「日本兵への同情」と慰安婦への同情は対立するものではな いし、どちらかに同情すればどちらかへの同情が犠牲になるというものではない。ここで小林が言っているのは日本兵への同情をして、慰安婦への同情はしないで よい、ということなのだ。人間としての自然な同情心を欠いたとんでもなく無慈悲な言い草に呆れる。