天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

橋下、海外に向けてもごまかし、すりかえ(5)

―先ほど、料理組合の顧問弁護士だとおっしゃいました。しかし、料亭の2階にあがれば買春できることは大阪のませた中学生であれば知っていることです。そんな中学生が聞いて嘘だと思うような詭弁を弄して恥ずかしいと思わないのですか。

違法なことであれば、捜査機関によって処罰されます。

国家が許していない売春組織の顧問弁護士をしていたという、この弁護士ははたして他国の戦場の売春を批判する資格があるのだろうか。この発言はいかにもくわせものの弁護士だ、という印象を世界に与えたと思われる。


―女性の人権に対する認識が甘かったのではないか。橋下さんがもし生まれ変わるとしたら、男性と女性どちらがいいですか。また、その理由は何ですか。
(略)


河野談話に関連し、詳しくお聞きしたいのですが。また、いま、何故このタイミングで市長という立場の人間が歴史問題に言及したのか。

(質問に対する答えにはなっていないので省略)


―さほど混乱してはいないのでは?

(略)
国家の意思として女性を拉致した、人身売買があったということであれば、そのように表現すべきだと思います。"慰安婦の方の"意に反して"というのは、これは間違いないことでしょう。

し かし、この河野談話、主語が明確になっておりません。民間業者が、慰安婦の方の意に反して女性を集めたのか、それとも日本の国家が女性を集めたのか、ここ を明確化していないのです。どちらにも読めるような表現になっています。韓国の方は、この河野談話をもって、「日本が」人身売買をしたと認識しています。 しかし、日本の多くの歴史学者や政治家は、これは国家がやったのではなく、民間業者がやったと主張する。こう主張している政治家も多いのです。主語は非常 に大切です。私は、当時世界各国の軍が女性を必要していたのではないか、と述べたのです。ところが、その主語が「私は」に代わり、私が必要としていた容認 していたと報じられました。

日本の歴史学者のうちで民間業者が人身売買を行なったと見ているものはほとんどいない。
河野談話全体を通して、これが民間業者に対する非難となつていると読めると思うほうがおかしいだろう。"慰安婦の方の"意に反して"強制した責任はもちろん軍・政府にある。

(略)

― 人身売買の定義をお伺いしたい。人身売買というのは、最初に女性を騙して連れて来た組織、それを移送した組織、その後監視する組織、国際的には、そのすべ てを人身売買といいます。それとは別に、実際に日本軍に連行されたとの証言もありますが、それは信用できないということでしょうか?

(一部省略)

その施設で働く際にいわゆる女性が身売りをされる、そういうことはあったと思います。騙され、誘惑をされ、当初言われていた仕事先とは違うとことではたらかされた、そういうこともあったのでしょう。

その時の貧困の状況から、借金を背負わされて、意に反して働かざるを得なかった、そういう状況もあったかと思います。しかし、これは民間業者のこういう施設でも普通にそういうことはありえると思います。第二次世界大戦当時、アメリカ、イギリス軍が利用していた現地の施設でも、同様の状況はあったと思います。

当時の民間の業者においてもそのような状況はおそらくあっただろう。しかし、具体的な資料がなく、被害者の訴えもない。そういうものと明確に国家・軍の責任があり、現に被害者の訴えがあるものを同列に並べてはならない。

日本はもちろん悪いですよ。しかし、民間業者の施設においても人身売買はある、あったわけです。そうしますと、日本の軍の一定の関与の元の施設と、民間業者の施設、人身売買という点では両方悪く、変わるところはないと思います。

そ こに日本だけでなく、世界各国に目を向けてもらいたいのです。戦場における性の問題は人身売買につながるんです。ただ、歴史的な事実として、日本が国家の 意思として、拉致をしたのか、人身売買をしたのかというのは歴史学の観点から明確になっておりません。ですから、民間業者がやっていたことはあるのでしょ うが、そこに国家の意思としての人身売買、拉致があったのかについて明確化が必要だと述べています。河野談話もそこは明確に記載しておりません。

慰安婦の方の証言があるということも聞いております。ただ、これもその信憑性について歴史学的に議論があるところです。河野談話を作った当時の官僚の責任者によれば、証言を裏付ける合理性に疑問があったといわれています。

被害者の証言の中核部分は意思に反して性労働を強要されたという部分であり、これに対しては合理性がないという批判は生じていない。

で すから、その証言だけで事実を認定できるのであれば、河野談話にはっきり書けばいいと思うんです。ですが、河野談話には、国家の意思として人身売買、拉致 をしたということは書かれていません。民間業者がやったことは認めているのでしょう。しかし、これは世界各地の民間業者においてある意味共通のことです。


だからこそ、河野談話、明確化する必要があるのでしょうか。繰り返しになりますが、これは歴史的な議論でありまして、日本の責任を回避するものではないということをご理解ください。

―軍の施設の運用については?

(すでに論じたので略)

-(何もしなかった)不作為の罪があると思います。そうした場合、誰が最終的に責任をとるのでしょうか?

今の価値観で考えれば、そうした人身売買を国家がとめなければならないことは間違いありません。そういう意味では、日本はいかなる意味においても責任を回避することはできません。

現在の橋下氏の価値観として、当時の不作為の罪を認めなければ本当に責任を認めたことにはならない。

国 家は、その時にどのような行動をしなければならないのか。しっかりといま議論すべきだと思います。といいますのも、当時の戦地においては、民間業者でも人 身売買があったわけです。そのような民間業者の女性を利用していた軍、政府、議会の責任はどうなのか。これについても議論しなければいけないと思います。 日本の責任は否定しません。しかし、いま世界各国で戦場における女性の性について議論されているでしょうか?

人身売買は民間業者だけの罪ではなく、軍の罪であることを認め、軍・政府がその責任をとらなくてはならない。これは議論の余地のないところである。

(略)

終わり