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天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

「GHQが慰安所の設置を要請した」という早とちりの理由

 ドウス昌代『敗者の贈物』を通読すれば、日本人がアメリカ軍がなにも言わないうちから、RAAを設置しようとした理由や、アメリカ軍将兵に進んで「性上納」をしたり、住宅とリクリエーション施設を要求されて、あわてて慰安婦施設のことかと思い込んだ理由がすけて見えてきます。 

 

『敗者の贈物』pp15-16 

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病院を出たあと、大佐は急に疲れを感じた。がも横浜市が占領軍将校宿舎として指定した建物も至急見ておかねばならなかった。 

それは「ヘルム・ハウス」といった。マッカーサーを初めとし、サムスたち占領軍高官の宿舎となったニューグランド・ホテルの近くにあった。一町ほども続く二階建ての木造アパートである。 

屋内は、やはり汚く薄暗い。と、その目に赤い着物色が動いた。若い日本の女が数名、じっと息を凝らしてこちらを窺っている。予想していなかっただけに、サムスは一瞬気を呑まれた。白粉をしているのが、異様に感じられる。アパートの各部屋に、かなりの人数の女が待機しているらしかった。 

 (略) 

同日、マッカーサー元帥より一足さきに厚木入りした新聞特派員やカメラマンが多数、ヘルム・ハウスの入り口に陣取り始めたのだった。最初に日本の「ゲイシャ・ハウス」へ足を入れる米兵の写真を、本国へ送る占領第一日目の大見出しに使おうという魂胆だ。 

そんなことになったら、本国でスキャンダルになることは確実だった。マッカーサーの日本占領に傷がつきかねない。 

 米兵の健康、すなわち性病面からも、サムスはこれを無視出来ない立場にあった。 

一緒に横浜上陸したクレスト少将やウィロビー少将等と相談の末、ヘルム・ハウスへの米将兵の出入りを、早速禁じた。 

その後七年間続く占領期間中、「ヘルム・ハウス」の名は、ワシントンと占領軍司令部の間で売春問題の悪名高きシンボルとして度々使われることになる。 

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 抵抗と不服従にあうと信じて警戒していた上陸したばかりの米軍将校にとって、案内された宿舎に女性をはべらせておくという対応をした日本人に驚倒したことでしょう。ワシントンの意向にことさら気を使わなくてはならない、占領軍高官一行にとって、この待遇は歓迎すべきどころか、とんでもない落とし穴として強く印象づけられました。彼らの一員であるサムス大佐が生きていて今の「米軍が慰安婦・慰安所を要求した」などというデマを聞いたら腹を抱えて笑うかあるいは、激怒したことでしょう

 

同書pp76

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 ノルマンディ侵攻直後、その近くの海岸の町にフランス政府は数件の米軍専用売春ハウスを設けた、連日すごい行列が続いた。しかし、米軍司令部はワシントンの反応を恐れて、三日で閉鎖させている。そのためフランス政府は他の町に準備中だった米軍専用施設をすべて取り消していた

 サムス大佐によると、エジプト政府が同じような施設を準備したときは、そんなに注目をあびる駐屯地でなかったので、ベイ司令部は見ない振りをし、将兵に利用させたという。

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 アメリカ軍が兵士の売春施設利用を禁じていたのは一貫した方針だったことがわかります。

 これらは政府中枢の方針であり、そのうらにはアメリカの女性の意志がありました。ただし、駐屯軍司令官にとって兵士の性的はけ口は悩ましい問題であり、ときとして目をつぶることがあったことをサムス大佐は明らかにしています。

 

 だとしても、売春施設を提供したのは同じ連合軍に属する国家であり、それはアメリカ軍によるナチスからの解放の謝意でした。すなわち、駐留アメリカ軍は要求したことも、命令して作らせたこともないのは明らかです。ではこれらは、日本のRAAと同じ性質のものだったでしょうか。完全に違います。施設を作ったのはかたや同盟国、ところが日本のRAAは非占領国です。非占領国が占領軍に対して性的サービスを伴う施設をすすんで提供したのです。米兵による陵辱から女性・子どもを守るという信念でやったということですが、非占領国が占領国に性的サービスを提供するとはまた、屈辱的にもほどがあります。

  

 ネトウヨは磯村英一氏の証言(産経新聞)、広岡敬一著『戦後性風俗大系』、川島高峰氏の論文?というような資料ともいえないような片言隻句を並べて、アメリカ軍が日本にRAAを作らせた、などという珍説を言い立てるのですが、当時の資料を普通に並べて読めばアメリカ軍が売春施設を作るように言うことなどありえないのです。

 

 日本軍慰安婦を作ってそれを当然と考えていたような当時の日本人だから、アメリカ軍が占領軍が来れば日本女性を強姦しまくるに違いないと恐れて8月18日という早い段階でRAA設置を決めていたし、米軍が住宅とレクリエーションを要求すれば、「ああっ、慰安婦要求が来たー!」とあわてふためいたに決まっているのです。