天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

もうひとつのGHQ指令説ソース

こういうのもありますね。 

 

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当時、日本人女性たちは、日本に進駐したアメリカ兵たちによって強姦されていた。 

そのため、米軍は半ば強制的に、日本に対して慰安所を設置するように命令した。 

RAAは1945年8月18日内務省警保局長通牒「外国駐屯地における慰安施設について」に基づいて作られた、日本政府による占領軍性犯罪防止のための慰安所だった。 

しかし、占領軍による性犯罪は、その程度のもので緩和されなかった。 

例えば、1945年8月30日一日の、神奈川県下のみで発生したアメリカ兵による強姦事件315件だった! 

9月28日にGHQ軍医総監は、東京都衛生局に対して慰安施設の増設を指示した! 

広岡敬一著『戦後性風俗大系』参照) 

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広岡敬一というのは1921年生まれのかつての風俗ルポライター。けっしてアメリカ軍当局と折衝した当時者などではありません。 

 

問題は 

>9月28日にGHQ軍医総監は、東京都衛生局に対して慰安施設の増設を指示した! 

 

という一文ですが、おかしなことが二点あります。占領行政組織として軍医総監は「慰安施設の増設」を日本に対して命令する権限はありません。第二に東京都衛生局も「慰安施設の増設」を指令する役所ではありません。 

 

 

RAA設立の経緯やアメリカ軍の占領政策に詳しい、ドウス昌代の『敗者の贈物』に当たってみましょう。米兵の性病の管理をしていたのは公衆衛生局でトップはサムス局長です。 

 

『敗者の贈物』pp115 

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九月二十二日、サムス大佐は「公衆衛生対策に対する覚書}を出すと、直ちに着手すべき事項を指令した。外地からの引き上げが続き、第一に伝染病が恐れられていた。そのため防疫対策に関することを主とした。 

 続いて出されたのが 

九月二十一日の「日本国民は花柳病撲滅に特に努力すべし」という覚書である。 

 

 略 

 

性病予防対策会議は売春対策も兼ねてまず九月十一日、サムス局長を中心に各軍の軍医、憲兵隊代表を集めて開かれた。その直後、各軍衛生隊により日本の売春婦の性病率の調査が行なわれる。梅毒に罹っている者が全体の五十パーセント、淋病七十五パーセントという恐ろしい数字が出た。慌てて指令されたのが前記の覚書である。 

 本格的な性病対策が開始されるのは、覚書が出た二十二日に、性病担当官ゴードン軍医中佐がマニラから到着してからとなる。 

 

 略 

 

九月二十九日の午前中、ゴードン中佐はサムス局長、米太平洋陸軍軍医総監デニット准将の代理のブルース・ウェブスター軍医大佐、第八軍衛生部及憲兵隊代表等と会議を開く。性病予防はまず売春を防止する以外ない、というみなの一致した意見だった。だが、「日本の売春防止対策は無きに等しい」(PH&Wメモ」一九四五年九月二十九日付)と、一同は揃って悲観的であった。 

 そのための施設がある限り戦線から入った将兵の立入りを禁止ずるのは、効果的なやり方でなかった。オフ・リミット例は、あってなきがものといえたのだ。 

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つまり、広岡氏が指摘する9月28日ごろ、GHQの中で問題になっていたのは売春による性病多発の対策でした。その対策として売春禁止を検討していた、GHQがRAAの増設などを指令することはありえません。