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天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

「GHQが慰安所の設置を要請した」という脳内風景

ネットには「戦後、日本に進駐したGHQは日本側に慰安所の設置を要請した」という記事が大手をふってまかり通っている。そのソースはこれらしい。 

 

1994/09/17  産経新聞 

【正論】地域改善啓発センター理事長・磯村英一 

 

命令された娯楽施設の怪 

最近の北京訪問で気になったのは、一九九五年国連が北京で開く女性の人権に関する会議のこと。私は一年前の一九九三年九月、国連がウィーンで開いた世界人権会議に、同和問題の関係から参加した。そのとき直面した課題は、第二次世界大戦中、日本がアジアの戦場で、女性の人権を侵したという課題、いわゆる“慰安婦”の問題である。NGO(国連が認めた民間団体)の側からも、きびしい追及があった。 

 

日本側は、その問題に関しての十分な準備がないので次の国連の集会に報告するとして、ウィーンでは問題にならなかったが、次の国連の集会は、問題もそのものズバリの“女性の人権”である。日本政府は少なくとも来年の会議までに何らかの対応を国民にも知らさなければならない。最近一応の案を出しているが、それで済むのか。 

 

直接その問題にはかかわりがない私が、発言をするのは、この慰安婦の問題は、決して日本の軍隊だけでなかったという事実を、私自身が経験しているからである。 

日本の終戦直後、私は東京都の渉外部長で、占領軍司令部の命令に、"サービス"を提供する役割を課された。 

戦勝者の命令は絶対である。 

僅か一、二週間の間に占領軍の兵隊のためにワシントン・ハイツ等という名の宿舎の建設が命令され、将校たちのためには、洋式のトイレの住宅を接収し、提供した。 

敗戦の年のクリスマス、司令部の将校から呼ばれて"ヨシワラ"の状態の報告を命ぜられた。 

もちろん、その地区は焦土と化していた。命令は宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、"女性"を集めろということだった。 

命令は英語で"レクリエーション・センター"の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧"ヨシワラ"のそれであった。 

 

敗戦直後の東京の行政は、女・子供はできるだけ地方に分散するようにという命令が出され、占領軍の兵隊のための宿舎をつくる労力さえも不足の状態だった。しかも外国の兵隊は、鬼畜とさえ教えたのを、改めてそのようなサービスを提供するなどできるものではなかった。 

(後略) 

 

 

米軍が来てただちに宿舎を作れと言われたというのは不思議はない。しかし、45年12月になって焦土と化していたヨシハラに宿舎を作れという命令を受けたというのは不審である。その宿舎というのは米兵のためのものなのか。そうであれば、もっと早いうちに命令が出ていたはずだ。 

 

米軍兵士のために"女性”を集めろ、レクリエーションセンターを作れという「命令」があったという。これはちょっとおかしいのではないか。磯村氏の話では1945年のクリスマス前の命令であったとするが、日本の内務省はすでに敗戦直後の8月18日にただちに『特殊慰安施設協会』(RAA)の設置を決定し、米軍到着前にはすではに第一次の募集を終えているのである。年も押し迫って米軍が慰安施設の増設を命令したというのはおかしい。 

 

そもそもRAAという慰安施設をアメリカの要請も命令もなしに率先して作ったのは日本側なのである。しかも、アメリカは翌年の1月にはそのRAAの閉鎖を命じている。その米軍が年末に慰安施設の増設を命令することはありえない。 

 

 

この磯村英一というひとは1903年生まれ、新聞記事のときは91歳で、46年前のことを証言している。wikiによると943年7月1日の東京都制施行と同時に渋谷区長に就任し、1945年12月まで務めたことになっている。渋谷区長の任にあるものが東京都の渉外部長をしていたとは首を傾げる。 

 

そもそも、磯村氏は「レクリエーション・センター」について米軍の命令を受けた当人なのか。 

 

>命令は英語で"レクリエーション・センター"の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧"ヨシワラ"のそれであった。 

 

室内運動場の整備と思ったが、売春施設の整備だったとあとでわかった、というが磯村氏が直接アメリカ軍からどういう施設であるかという説明を聞いて「わかった」のだろうか。とすればそのときの驚き・戸惑いの記憶が描かれていない。当時の日本人の女性の人権に対する意識はRAAを自らが考案するほどの状態であった。また、当の磯村氏自身、鬼畜米英と恐れ女性・こどもを都内から逃げるよう指導していた。アメリカ軍がサービスを要求したときに「アメリカ軍人が要求している、あれのことだな!」と即断した関係者がいて、磯村氏はその関係者からの伝聞で「わかった」と考えれば納得が行く。 

 

ネトウヨがこぞって引用するこの新聞記事は91歳の老人の「証言」である。ネトウヨ君が愛用する言葉で言えば、証言は証拠ではない、という話である。日本側が設置したRAAについては多数の一次資料がある。もしこの話が事実であれば、東京都や米軍文書には一次資料が残っているはずだ。しかし、そのような資料はない。 

 

「アメリカ軍が慰安施設を作るよう命令した」とは信じたいことを信じ、信じたくないことを否定するネトウヨの脳内風景に過ぎない。