天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

各国に慰安婦制度があった?(2)

「各国の慰安婦」でネットを検索すると、「酒たまねぎや店主の木下隆義」なるもののサイトが真っ先に目に入ります。 

 

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 <従軍慰安婦という制度は、日本だけにあったものと言われる。少なくとも近代軍の中で、戦争の際に、女性たちを同行させ、自分たちの性の処理をさせた軍隊というものは、かってなかった> 

従軍慰安婦と戦後補償」p69 

あの売国奴弁護士高木健一の言葉です。 

そして、あの辛淑玉女史も 

 <近代国家の軍隊が、組織的に大量の女性を性奴隷にして戦場を連れ歩き、強姦し続けたなどという例が日本以外のどこの国にあるのか、ご存知ならば教えてください> 

在日コリアンの胸のうち』より 

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という指摘に対する反論として書かれています。 

以下は酒たまねぎや店主さんの本文。 

 

 

現在、私の手許にある本からだけでも以下のような例を引く事ができます。 

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 第一次世界大戦時の軍隊と性 

 西部の戦争舞台では、アミアン、アベヴィーユ、アーヴル、ルーアンその他、前線の背後のすべてのフランス都市には連合国軍部隊のための特に設備がよくて繁昌した兵站娼家があった。将校用娼家の目印は青い軒燈で、兵隊用娼家のそれは赤い軒燈であった。娼婦はたいていフランス女で、前からその町に住んでいるものか、ドイツ軍に占領された地方から逃げてきたものであった。・・・・・このフランスの兵站娼家は、予防法のことをほとんど知らぬイギリスの兵隊たちにとっては特に、まさに性病の孵化場であった。 

 ドイツの側にも、兵站地域の大きな町には必ず兵隊用娼家と将校用娼家とがあった。 

略) 

 兵隊用娼家はどこでも、門前に長蛇の列をつくっている兵隊たちによって、あまり見栄えのしない光景を呈していた。 

 (ヒルシュフェルト「戦争と性」世界性学全集第五巻、河出書房刊 p125~6) 

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これは単なる駐屯地周辺の売春宿のようで、軍の慰安婦施設であるという証拠はまったくありません。 

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 我が国においてのアメリカ軍に対しての慰安婦政策

 昭和二十年八月十八日、内務省は全国の警察管区に秘密無電を送り、占領軍専用の「慰安婦施設」を特設するよう指示した。

 (ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店p150 引用元 神崎清「売春・決定版神崎レポート」現代史出版p127~162)

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 米軍の本隊がまもなく到着する。宿舎は内村旅館である。どのくらいの期間滞在するかわからないが、署長は米軍から知覧の町民を守るようにとの中央の命令を受けている。一番怖いのは婦女暴行であるが、これについては各方面の協力を得て、彼らに当てがう女たちを確保した。

 その女たちは、いわゆる慰安婦である。

 (赤羽礼子 石井宏著「ホタル帰る」草思社p188)

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有名なRAAのことですね。これはアメリカ軍が自軍に作ったのではありません。占領された側が占領軍のために国家的に慰安施設を作ったなどはおそらく世界に例がないのではないでしょうか。日本軍慰安婦とともに日本の恥です。これがアメリカ軍の慰安婦だなど言うのもどうかしているし、国家的に性上納をした歴史を恥ずかしげもなく提示するとは頭がおかしいとしかいいようがありません。

 

 

 アメリカの朝鮮戦争時における慰安婦施設について

 朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人女性の売春婦(慰安婦)を集めた米軍管理の「センター」を設置した。朝鮮の戦場から一定期間毎に交代で米軍の兵隊が送られてきた。

 (中川八洋「歴史を偽造する朝鮮」徳間書店p225)

 

 この施設については他の資料がまったくありません。著者はゴリゴリの右翼です。もし、アメリカ軍が率先して慰安婦施設を作ったという証拠・資料があるのであれば、アメリカ国内から猛烈な抗議が起こったことでしょう。というのも日本側が作ったRAAでさえ、アメリカ国内からの抗議によって米軍が閉鎖命令を出したという経緯があるからです。

 

 アメリカのベトナム戦争時のベトナム女性慰安婦について

 一九六六年頃までに、各師団のキャンプと周辺には「公認の軍用売春宿」が設置された。

 ライケでは鉄条網で囲まれたキャンプの内側に二棟の「リクリエーション・センター」があった。バーとバンド演奏所の他に六十室の個室があり、そこで六十人のベトナム女性が住み込みで働いていた。

 彼女たちは米兵の好みに合わせて、「プレイボーイ」のヌード写真を飾り、シリコン注射で胸を大きくしていた。性サービスは「手早く、要領よく本番だけ」がモットーで、一日八人から十人をこなす。

 (秦郁彦慰安婦と戦場の性」p171)

  

売春宿の設置主体については記載がありません。「公認」という言葉が示す実態も記載がありません。実はこのあとには次のような一文が続きます。原文はスーザン・ブラウンミラー記者でした。

 

  料金は500ピアストル(約2ドル)。女の手取りは200ピアストル、残りは経営者が取った。彼女たちを集めたのは地方のボスで、金の一部は市長にまで流れた。 米軍はこの方法で、「ディズニーランド」とも呼ばれた慰安所に手を汚していない形にしていたが、監督は旅団長で、ウエストモーランド司令官もペンタゴンも黙認していた。 女たちは、週ごとに軍医の検査を受け、安全を示す標識をぶらさげていたが、それでも米兵の性病感染率は(1969年には)20%に達していた。

 

つまり、設置主体は「リクリエーション・センター」の経営者で女性を集めたのは地方のボス。アメリカ軍は関与はせず、兵士が利用するのは黙認した。駐屯地における売春宿と軍隊が作った慰安所はまったく別のものです。
「酒たまねぎや」のコピペは各所で引用されています。日本軍慰安所とはまったく性格を異にするものを同じだ、同じだと騒いでいるだけです。

 

橋下が各国も慰安婦を持っていたというのもこの程度のデマに過ぎないでしょう。橋下は各国がどういう慰安婦を持っていたか、きちんと語らなければなりません。それこそ欧米各国に対する捏造による侮辱ですから。