天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

橋下のロジックは明らかに間違いである。

慰安婦発言:橋下氏「制度容認はしていない」

http://mainichi.jp/select/news/20130516k0000m040059000c.html

 

>橋下徹大阪市長は従軍慰安婦制度を「必要だったのは客観的な事実だが、容認はしていない」と強調した。 

 

客観的に必要だ、ということには二つの側面がある。 

 

まず、当事者が必要だと思い、得ることを欲していること。 

これだけでは主観的に必要だ、というに留まる。 

 

二つ目に、第三者が見てそれがないと「駄目になる」と認識すること。 

 

たとえば、第二次世界大戦当時、日本は石油が必要だった。 

これは客観的な事実と言える。 

当事者である日本が石油を欲していたし、必要だと思っていた。 

外国からみても日本は石油がないと「駄目になる」と認識していた。 

 

しかし、慰安婦はどうか。 

 

いったい、何のために必要だったのだ? 

ここがよくわからない。 

日本軍兵士に休息と慰安を与えるために? 

それによって兵士の戦意を維持し、士気を高めるために? 

 

どうやら、日本軍部は慰安婦・慰安所が必要だと考え、それを実際に作った。 

しかし、他国から見て日本は慰安婦がないと駄目になると考えられたであろうか。 

 

連合国軍慰安婦・慰安所なしで、戦争して日本、ドイツに勝った。 

したがって連合国は日本は慰安婦がないとやっていけない、駄目になるとは考えなかったのではないか。 

 

橋下が「必要だったのは客観的な事実」と表明するのはどう考えても当時の軍部と同じ思考方法をとっているとしか考えられない。 

 

そのような思考方法をとっているからこそ、沖縄在日米軍高官に風俗の活用を勧めるという愚挙に走ったのではないか。 

 

戦争当時は必要だったが、現在は容認されない、というロジックは明らかに破綻している。