天に代わりて不義を討つ

歴史修正主義に反対します。難しいことをやさしく、わかっていると思うことを深く追求して書きます。議論を通じ、対話を通じて真実を求めます。

小林よしのり、極悪の反人権漫画家の慰安婦論を討つ(3) 

 


 橋下は5月14日のツイッターでこうも述べた。

 「僕は今の視点で慰安婦が良いか悪いかと言われれば、それは良いことだとは言えない。ただ世界各国を見れば、軍人に性的欲求の解消策が存在したのは事実」

 これもわしがかつて議論したことで、日本以外の国の軍隊でも、慰安婦を活用したのである。

 

  アメリカ下院議会は2007年7月に「慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める決議」を採択しているが、当の米軍が朝鮮戦争でもベトナム戦争でも現地女性を 集めた軍用の売春宿を持ってきた。日本が戦争に負け、占領軍を受け入れる際にも、日本政府は米兵向けの慰安所「特殊慰安施設協会(RAA)」を設置してい る。なぜ国がわざわざ慰安所を作ったのかというと、日本と同様に敗戦したドイツでは米兵によるレイプが頻発し、沖縄戦でもレイプ被害が甚大だったからであ る。

 

 このような国が、日本の慰安婦を非人道的だと非難するのは片腹痛いと言わざるを得ない。


(1)橋下も「世界各国が慰安婦を持っていた」と発言したことがある。しかし、5月14日のこ の発言では「軍人に性的欲求の解消策が存在した」と修正している。それは別として慰安婦=売春婦ではない。慰安婦とは軍が管理した強制性労働をさせられた 女性のことである。売春婦とは民間が営業している、自由意志による、あるいは管理されている性労働をする女性のことである。

(2)日本以外で軍慰安婦を持ったのはナチス・ドイツと朝鮮戦争当時の韓国軍である。他の国の軍隊ではおおむね、基地、駐留地周辺の売春宿の利用にとどまっている。 軍慰安婦を持つということは世界的にまれなこと、特殊なことである。おそらく人権無視のファシスト国家だからできたのであろう。また韓国軍の将校はかつて日本軍に学んでいたので慰安婦が抵抗なしに設置できたのである。

(3)慰安婦問題は兵士の性の捌け口を求めること一般の是非や、性の捌け口をどう処理するかという問題ではない。慰安婦問題とは強制的に兵士の性に女性を利用することであり、慰安婦とされた女性たちの人権問題である。戦地における売春問題とは別の問題である。

(4) アメリカ軍の売春宿といっても地元の民間業者の設置する売春宿を指定したり、公認したことがある程度だ。軍みずから人身売買によって売春婦を集めたりする ことはなかった。軍自らが慰安所の設置・管理・運営をしたこともない。ただ、朝鮮戦争では韓国軍が設置した慰安所を利用した。結果的に強制的性労働の女性 を利用したことについては問題があるが、自国が作った慰安所の利用とは性格が違う。アメリカ軍は全般的に売春自体に対して厳しい対応をとっており、売春宿 の利用を禁止した例が多い。日本軍の政策とはまったく異なる。自国より他国の人権・人道が遅れている場合、進んで批判して向上を求めることはいいことだ。

 (5)ドイツでのアメリカ軍兵士はおおむね駐屯地周りの酒場や急遽作られた売春宿を利用するのにとどまり、大規模なレイプは見られていない。
http://www.nextftp.com/tarari/daikanin.htm

 (6)沖縄戦では日本軍による沖縄女性に対するレイプが住民の怒りを買っている。

 


  慰安所を持たなかったソ連軍は戦利品とばかりに略奪・レイプを繰り返す軍隊で、満州国から引き揚げる日本人女性はソ連兵から逃げるため、頭を丸坊主に刈 り、顔を泥で汚して逃げたが、それでも非常に多くの女性がレイプ被害に遭っている。こういった話が表に出てこなかったのは、彼女たちが黙って泣き寝入りし ていたからである。 



(1)まるで慰安所を持つ軍隊が強 姦をしない立派な軍隊のような言い方だが、第二次大戦でもっとも早く、もっとも大規模な慰安所を作った日本軍は南京に慰安所を作った後も強姦を続けてい た。そもそも日本軍が慰安所を作った動機のひとつは強姦の抑制にあったが、慰安所の利用によって女性の意思を無視したセックスの味を覚えた兵士があらたに 強姦を始めたという面もある。慰安所は組織的な強姦の場である以上、強姦の抑制にはならなかった。

(2)ソ連軍は軍慰安所を作らなかった し、軍が公認、指定する売春宿もなかった。売春を資本主義の害悪と考えた共産主義イデオロギーの理想主義のゆえである。略奪・強姦を行なったのは兵士に対 する抑圧が強かったこと、兵士に対する食料や福祉施設の供給が遅れていたことが原因であり、一部将校が女狩り示唆したこともあった。しかし、ソ連軍はベル リン占領の数日後に強姦を厳しく処罰する方針を打ち出し、強姦を抑制した。」

(3) 略奪・レイプを繰り返す軍隊といえば日本軍もそうだった。食は敵によるとして、兵站を無視して現地徴発によったため日本兵は現地農民からの略奪の味を覚え た。邪魔されない犯罪の味を知った日本兵が次にしたのは逃げ遅れた女性たちへの強姦だった。当時、強姦は略奪との合併罪であったので、強姦単独では起訴さ れなかった。また部下が起訴されれば上官の昇進に差し支えるので上官は罪を犯した兵を庇って滅多に起訴は行なわれなかった。

■このような日本軍を擁護する小林がソ連軍の批判をするのも片腹痛い話である。
 
(4) 南京をはじめとする中国各地に慰安所を持った日本軍は慰安所を設置した以後も中国国内で強姦・略奪をやめなかった。また、沖縄戦では96000人の兵員に 対して130箇所の慰安所を作りながら日本兵は沖縄女性に対して強姦をする有様だった。慰安所は強姦防止には役立たなかったのである。また、満州にソ連軍 が侵攻したとき日本人は一部の女性をソ連兵に慰安婦として提供して難を逃れようとした。

 (5)戦場における性の倫理も一般社会における倫理もほとんど一緒である。何が倫理的に悪いかというと(1)慰安婦制度(軍が主導して慰安婦を集め慰安所を設置する)>(2)レイプ>(3)売春宿の利用だろう。

売春宿の利用の中でもいろいろなレベルがある。軍が業者に依頼して基地などの周辺で売春宿を作り公認する>基地周りに業者が作る売春宿を指定する>単に基地周りに開業している売春宿を兵士が利用することを黙認する

こ れは売春宿の設置・運営・利用にどの程度関るかという、外形的な問題であるが、実態は見えにくいとしてももっと重要なのは売春業者が人身売買に関っている かどうか、売春が強制になっているかどうか、という点が重要だ。この二点がクリアーされていない売春宿の利用については外形的基準によらず、倫理的な問題 が大きくなる。もちろん、日本の慰安所は外形的基準と人身売買、強制売春において最悪な性奴隷制度であった。

 

小林よしのり、極悪の反人権漫画家の慰安婦論を討つ(2) 

 

慰安婦の実状をベースにした論説の部分であるが、事実認識のお粗末さに驚くとともに、慰安婦に対する同情心のひとかけらもないことに唖然とする。


もちろん、慰安婦になった女性の中には、貧困な農村から親に売られた女性もいたわけで、残酷で不幸な体験だったことは間違いない。年端もいかぬ若い娘が見知らぬ男に体を売ることを強制させられるというのは、筆舌に尽くし難い苦しみだったはずである。

  ただ、もしその仕事がなかったらどうなっていたかを想像してみることも必要だ。一家全員が餓死していたかもしれないのである。女性が大金を稼げる仕事は当時、そうそうなかった。 


 

  昭和初期は冷害が続発し、東北地方では食に事欠き、収入が途絶した農民が多数いた。しかし、普通の親ならば手塩にかけて育てた娘をすすんで売りに出すはず はない。親が自ら売り払ったというよりは貧困家庭を見出だしては商売にしようとするひとたちに食い物にされたのである。



 まず、娘を売るということは人身売買であり、当時の法律でも違法だった。しかし、当時のことだから金銭貸借条件、労働条件について正しい説明をしなくても通っていた。人買い業者はこのような法の抜け穴を利用していたのである。
  娘を手放した親にしてみれば例え一時的に借金を返せても、うち続く冷害のために貧困生活は逃れられなかった。また、娘たちが背負う前借金は高利であり、貸 し座敷の経営者の巧妙な仕掛けのためにいつまでたっても売春稼業から足を抜けないのが実情だった。このような実情を「大金が稼げた」とか「餓死を免れたか も知れない」などとイケシャシャーと肯定的に美化する小林の人間性を疑う。

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毎日新聞2001年1月30日

には人買い業者にだまされて娘をたった33円で売ってしまった農家の悲劇が載っている。

  ところで、明治以後の日本で餓死者が出たのは明治初期と戦後すぐの二回である。冷害で身売りが多かった昭和6、7年頃に餓死者は出ていない。慰安婦の徴募 がはじまったのは昭和12年(1937年)のことであり、貧困による農家からの身売りと慰安婦の徴募は直接の関係はない。

なのに、なぜ小林が「餓死の恐れ」や「大金を稼げた」などの大嘘でも言わないと兵士たちに女性を人身御供に捧げることの理由を見つけられなかったからである。

 慰安婦を募集すれば、朝鮮人女性や中国人女性だけでなく、日本人女性からも応募が殺到したのも事実である。慰安婦は当時の大卒初任給の10倍近い高給取りで、故郷に家を建てた者も多かった。こういった事実にも目を向けなければ慰安婦の実像は見えてこない。

 

慰 安婦を募集によって集めたという事実はまったくない。存在しない。第一、兵士の『慰安』などという仕事を公然と口にして誰が行くのだろうか。ちょっと、頭 がおかしいのではないか。開いた口がふさがらないとはこのことだ。このような歪んだ常識を持つ小林に慰安婦問題をこれ以上語らせてはならない。

先日書いたばかりのエントリーだが。 

「募集広告」を見てたくさん集まったはずだから、強制連行はなかったって・・・。気は確かか?

 

 

小 林はおろかにも朝鮮の新聞に載ったという二枚の新聞広告を見て妄想したのだろう。中国でも日本でもそのような広告はない。日本でそんな広告を出したら、顰 蹙を買う。慰安婦を募集すると言ってもそれは軍や警察、業者の間で内々にやり方を決めたこと。世間に出せるようなことではないのはわかった話だ。

ところで小林は漫画「ゴーマニズム宣言」で日本軍は 悪い業者を取り締まっていた証拠がある、などと言っていたが、募集広告で殺到するのであれば悪い業者が横行するはずもないではないか。

 

慰安婦は高給取りで故郷に家を建てた」ーこれもまた、馬鹿げた妄想である。慰安婦は高給取りだったという話はある。しかし、それは戦中の額面にすぎない。戦後にたくさんのお金を持っていたという証言は存在しない。貰った金で慰安婦が家を建てたという証言も資料もない。小林はついこの間までは「家を建てたに違いない」と言っていた。小林の脳内はいまだひとり伝言ゲームの最中である。

 

 

 橋下は「戦場における性」というものに切り込んだ。死と隣り合わせの極限状況において、性を求める兵士たちの気持ちに思いを寄せたのである。


それは小林の思い入れに過ぎない。橋下はそのような文学的感性で発言するキャラではない。 

 

 兵士と慰安婦の関係は「性奴隷」という言葉で括れるようなものではなく、様々な感情や交流があった。


 感情の交流があるから性奴隷ではない、ということはない。古今東西、奴隷と奴隷主の愛情の物語は無数にある。奴隷かどうかは奴隷主が奴隷とされる人に対して思うように動かす強制力を持ち、行使しているかどうかによる。

 

  支那派遣軍慰安婦慰安係長の手記『武漢兵站』(山田清吉著)にはさまざまな慰安婦のエピソードが出てくる。これから前線へ出るという青年将校が、ある慰安 婦へ2000円という当時としては大変な大金を預けた。その将校は、「今度は生きて帰れない。前線ではお金を使うこともないから、君にこのお金を全部あげ る。前借(借金)を返すのに使って欲しい」といい、「そんなことを言わないで、もう一度訪ねて来てください」という彼女の言葉も聞かず、お金を置いていっ た。だが彼女は一銭も使わずにこの慰安係長のもとを訪ね、「兵站に寄附しますから、何かに使ってください」と差出したという。彼女はその際、「もしあの将 校さんがもう一度着てくれたら、自分の身銭を切ってでも遊ばせてあげる」と言ったそうだ。

 

  これは一部の例に過ぎず、ほとんどは無機質なセックスが繰り返されていたのかもしれないが、必ずしもそれだけではなく、死が差し迫る中、女性のぬくもりを 感じたい、故郷の話をしたいといった心の交流や癒しを求めた日本兵も多かった。また、若い兵士を抱えた上官の中には、「女も知らずに死んでいくのは可哀想 でならない」と慰安所に連れて行く者もいた。

  兵士と慰安婦のまことに麗しい愛情の物語だが、小林ははたしてこの本を読んだのか。

 この慰安婦の名前は三春という。三春は将校からもらった2000円で前借金を返し、自由の身になれるはずだった。ところがこうして外からまとまって入った金で借金を返すことは許されていなかった。前借金はあくまでも 体を売った金で返さなくてはならない決まりだった。その決まりを作っていたのは業者ではなく、軍だった。つまり、前借金はただの貸借関係ではなく、あくまでも性奴隷制の隠れ蓑として使われた口実だったのである。

 小林は都合のいい女性の話だけ取り上げているが、漢口慰安所にいた17人のうち4人は朝鮮人女性で、そのうちの1人は自殺。一人は病死。一人は16歳で未成年、ということは法律違反なのだが、軍は営業を認めていた。日本人慰安婦さえ、「こんなつらいところに 1日だって辛抱できやしない」「もう積慶里(慰安所のあった場所)には死んでも帰らない」と叫んだと山田は書き留めている。

92年1月の朝日新聞で「私は漢口で慰安所の監督をしていた。軍が慰安所を統制、管理していたのは誰でも知っていること。」と述べている。

『武漢兵站』についてはhttp://www.geocities.jp/forever_omegatribe/wuhan.htmlを参照のこと。



  これまで慰安婦問題は、かわいそうな元慰安婦のお婆さんと悪の旧日本兵という対立構図だけで語られてきたが、なぜ慰安婦には同情するのに、自分の国を守る ために戦った日本兵には同情しないのか。なぜ死を目前に性を求めた心理状況に思いを寄せられないのか。日本のために、我々のために死んでくれた若者に対す る「情」を取り戻す。わしが慰安婦問題を戦った根底には、その思いがあった。


「か わいそうな元慰安婦のお婆さんと悪の旧日本兵という対立構図が語られた」などという事実はない。「日本兵への同情」と慰安婦への同情は対立するものではな いし、どちらかに同情すればどちらかへの同情が犠牲になるというものではない。ここで小林が言っているのは日本兵への同情をして、慰安婦への同情はしないで よい、ということなのだ。人間としての自然な同情心を欠いたとんでもなく無慈悲な言い草に呆れる。
 

 

小林よしのり、極悪の反人権漫画家の慰安婦論を討つ(1) 

 小林よしのり氏「あえて問う、従軍慰安婦は必要だった」週刊ポスト2013/05/31号というのがありまして、これはネタになると発売当日早速購入しました。しかし、とんでもない暴論、歴史に対する無知の連発で、反論を書くのに時間がかかる。とりあえず、数回にわけてupします。

小林よしのり週刊ポストに書いた、慰安婦必要論(青字部分)である。

 


 「戦時中に慰安所は必要だった」とする橋下発言は、何ら間違っていない。

 

  現代の人権至上主義の価値観を過去の歴史に押し付けることは、歴史の実相を見えなくするだけだ。戦時中の日本には公娼制度があり、国内において売春は違法 でもなんでもなかった。国内はOKで戦地はダメというのは理屈が通らない。繰り返すが、あくまで当時の価値観や法においては認められていたということだ。
 


 

(1)現代を「人権至上主義」と見る小林の価値観とはなんだろう。人権とはhuman rightsの訳語である。人としての正しい姿、もって生まれたはずのあるべき姿のことなのだが、小林は人権が最も尊ばれるべきとは考えない。人権の一部は放棄して国家に捧げようというのが小林の人権観、国家観なのである。

 

(2)慰安婦問題を語るとき現代の価値観で過去を断罪するな、というような言葉がよく語られる。否定派だけでなく、自分を「中間派」と思っている方の口からもよく聞く。

 しかし、現代に生きる個人が語るときはたとうそれが過去の事象であれ、いま現在、自分が持っている価値観からしか語れない。ひとりの人間である以上、過去を語るときと現在を語るときで価値判断の基準を変えることはありえない。
  例えば黒人を売り買いしたり、奴隷労働させていたのはいいことなのか、悪いことなのか。誰でも悪い、悪かったと答えられるだろう。数年前のことだが、アメ リカ政府は奴隷制についてアフリカのひとたちとアフリカ系アメリカ人に対して謝罪した。アメリカで日系人を戦中に収容所に閉じ込めたのはいいことだったの か、悪いことだったのか。アメリカ人はそれはその時代にあった価値観、あるべきたった価値観に照らして悪いことだった、とはっきり言って当時の被害者であ る日系人に謝罪したのである。

  ところが日本人の間では慰安婦に対しては当時は慰安婦は認められていたのだから、仕方がない、謝罪の必要はないと言って憚らないひとたちがすごく多いので ある。これに対して海外からの批判は厳しくなる一方である。慰安婦問題ひとつとっても日本は人権意識が遅れたどうしようもない国だと思われはじめている。 これは国家の名誉を大きく損ねている。

 

(3)日本では売春が合法だったから問題はなかった、という意見もよく聞く。しかし、その当時の実情は売春が合法であったと単純に割り切れるようなものではなかった。

 まず、法制から見てみると、私娼は取り締まりの対象となった(つまり売春非合法)。 その上で強制売春の場である貸し座敷に隷属した娼妓に対して解放を指示した。けっして売春を合法化しようとしたのではなく、今いる売春婦(娼妓、酌婦)に 対して貸し座敷主からの解放を目指したのが娼妓解放令である。売春は倫理上好ましくないことであり、国家としてはできればなくしたい、しかし、今いる貸し 座敷主の立場にも配慮した(強制売春の継続を事実上認める立場)。新たに売春婦になる場合においては自由意志で職業を選択したことを女性みずからが意思表示することを求めた(新規の強制売春の禁止)。これは国際的な体裁を整える、人権活動家などの批判に答えるという立場と従来の実質的な性奴隷制度を守る立場との折衷であった。

 公娼制度は人身売買と一体化していた。女性が事実上の奴隷制度である公娼にすすんでなるということはありえず、常に人身売買が絡んでいた。人身売買の規制はさすがに公娼のお目こぼしとは違い、かなり厳格に実行された(強制売春の前提を禁止)。当時でも公娼に反対する運動は激しいものがあった。府県単位では14県が廃止を決定した(地方によっては公娼は完全禁止)。

 当時の価値観はけっして公娼を認め売春を合法としていたとは言えない。売春にかかわる女性の人権を守ろうとする側とこれを蹂躙して利益を出そうとする側の戦いがあったのである。そして、売 春・強制売春に対する価値観は当時もいまもけっして一様ではない。私たちが当時の公娼制度をどう評価するか、それは直接に現在の売春、特に事実上の強制売 春をどう見るのかという価値観と直接に結びついている。当時、公娼制度を維持しようとする側に身を置いてものを言うのか、公娼制度を完全撤廃する立場でも のを言うのか、それが問われているのだ。

 

 

紙智子議員の質問趣意書に対する政府答弁書を読む

 紙智子議員が安倍首相の「強制連行の資料なかった」発言を追求している。 という記事に書いた質問趣意書に対する答弁書を5月7日に閣議決定した。(答弁書第八十三号)
筆者は「東京裁判で事実認定されたものではない」などの反論をしてくるかと思っていたが、「内閣官房は問題の文書を保管していない」、「新しい資料が発見される可能性はある」というとぼけたような返事であった。要するになにも反論はできないが、さりとて、では探して見ます、という返事もない、不誠実な逃げの姿勢に終始した。上記のpdf文書を読んでもあっけないので、新聞記事を紹介する。

 

以下は紙智子議員が属する日本共産党の機関紙『赤旗』の報道である。

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 安倍内閣は10日までに、「慰安婦」問題で日本軍による関与と強制性を示す証拠があることを指摘した日本共産党の紙智子参院議員の質問主意書に対して、「新しい資料が発見される可能性はある」とする答弁書(7日付)を出しました。紙氏が指摘した証拠については「内閣官房で保管していない」と答弁を避けながらも否定できない内容となっています。

 紙氏は、安倍内閣は「強制連行を示す証拠はなかった」としているが、東京裁判(極東国際軍事裁判)の文書に証拠があると指摘。中国人被害女性の証言や旧日本陸軍中尉の陳述書などで軍の直接関与と女性に対する強制や脅迫が記されていることをあげ、戦争犯罪の事実を受け止めるべきだと求めました。

 答弁書では、文書に対する評価については答えず、軍の関与と強制性を認めた「河野官房長官談話」までに文書を承知していたかどうかについても不明だとして答弁を避けています。河野官房長官談話については、関係資料の調査や関係者の聞き取りを行い、「全体として判断した結果」だとし、否定する姿勢を示してはいません。

証拠の真実性恐れている

 紙智子議員の話 安倍内閣が答弁を回避していることは、指摘された文書の真実性を認めることをいかに恐れているかを示しています。同時に、文書を否定することができなかったことは重要です。

 答弁書によって、内閣官房が問題の文書を保管していないことが明らかとなりました。

 この文書はもちろん軍の関与と強制性を示す他の数々の歴史的文書を今後も提示することによって、政府に関与と強制性を認めさせ、謝罪と補償につなげていく足がかりにしていきたいと思います。

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結論)安倍内閣は強制連行があったことを否定することはできなかった。

「募集広告」を見てたくさん集まったはずだから、強制連行はなかったって・・・。気は確かか?

常識的に考えて敵地の前線や占領地で兵士相手の「慰安」を行なう女性を募集しても、おいそれと募集に応ずる女性が多数いるとは到底思えない。たとえ「慰安」の中身がどうであろうともだ。

 

銃弾が雨霰と降る過酷な戦闘を戦って気持ちのすさんだ兵士を相手にすればそれなりの「事故」の危険性を覚悟しなければならない、と考えるのが普通だろう。

 

ここのところが想像できない論者・ネトウヨさんたちはちょっとどうかしているんじゃないか。

 

さて、「募集広告」を見て募集でたくさんきたはずだから、強制連行はなかった。とする人がいる。

 

「きたはずだから、強制連行はなかった」は証明ではない。

きた「はず」ならば、「強制連行はなかったはず」で終わるだけのこと。

「はず」というのはあくまでも推測にとどまる。

 

■「来た」という証明はない。元慰安婦の証言に「募集を見て応じた」というのがない。騙されてきた、無理やり連れて来られた、というのはある。

 

■元日本軍兵士の日記資料、後日の証言に「募集を見て応じた慰安婦がいた」というのはない。騙されてきた、無理やりつれてこられた、というのはある。

 

■政府の文書に「慰安婦が民間業者による募集に応じて来ている」というのはない。

「民間業者」の中に強引な募集(拉致など)を行なって警察に逮捕された事例がある、という文書はある。

 

■戦後に元慰安によって起こされた裁判で「募集に応じて来た」と認定されたというのはない。騙されたり、無理やり連れてこられたことを認定したものはある。

 

一般に、歴史資料はいろいろなものがあり、事件の種類によってはまったく反対の状況を示すものもあるが、少なくとも慰安婦広告の募集に応じてきた例は一例も確認されていない。

 

つまり、募集広告があるから強制連行はなかった論というのは、到底成り立たない論だとわかるだろう

 

さて、募集広告自体の検討をしてみる。

 

タイトルは慰安婦募集であり、○○部隊とあり、兵士の「慰安」であることが明示されている。また、高給であるということは余程、応じるものが少ないつらい職場だということを示している。説明文には頑健な女性との文言もある。

 

高給だからたくさん応募があったに違いないと思うか、普通。兵士の10倍の高給だということは裏を返せば兵士の10倍くらいつらい職場だったということだ。

 

さて、その募集広告だが、募集広告でそれほどたくさん集まるのであれば、内地ではなぜ、募集広告が出されなかったのだろう。たくさん出されたけどまだ発見されていないって? んなわけはない。これだけ、慰安婦研究が進められていても、なぜか一件も発見されたという話を聞かない。では日本から慰安婦は出なかったのか。んなことはない。つまり、日本では募集広告では慰安婦は集まらないと判断されたのでしなかったのだ。


■ちなみに、日本人元慰安婦の証言、元兵士の証言の中にも募集で来たというのはなく、すべて騙されて来た、たである。

 

■証言はすべてを網羅しないから、あるいは人が嫌がる一方で、噂を聞きつけただけで押しかけた女性が多数いたのだろうか。そんなことがあればあったで、これもまた当時のニュースになったことだろう。しかし、そんな新聞報道はない。

 

慰安婦がもっとも多く集められたのは1938年だ。とすると新聞広告はこの時期に最も多いはずだが、写真の新聞広告の募集時期は京城日報1944年7月26日、朝鮮総督府機関紙 「毎日日報」1944年10月27日だ。しかし、そのとき朝鮮の情勢はどうだったか。

 

>朝鮮では、1944年3月から、官斡旋の女子(勤労)挺身隊が徴募されると、 「挺身隊に行くと慰安婦にされる」という噂が執拗に流れました。この噂を信じて、(挺身隊に取られ慰安婦にされるのを防ぐために)早婚が多数行われました。 

と言われる。慰安婦が広告を見て募集に応じたなどありえない。

とすれば、集めようとしても思うように集まらないのでやむを得ずに打った広告だという以外にない。

 

募集すれば集まったとか、「募集広告があったから強制連行なかったはず」と言うやつは度し難い馬鹿だ。

 

さて、応ずる女性がいないはずの募集広告がなぜ打たれたか、それはまた後ほど。

 

慰安婦問題のブログを書くに当たって

タラリさんも資料を集めて書くともっといいんだが。と親切で言ってくれる人がいる。気持ちはわかるけど、そういうプログを作ることは考えていない。慰安婦のブログを作りはじめて気がついたが、たくさん本を読んで、たくさん資料を知って、たくさん資料を見つけてブログを書いているひとは多い。 

 

だがね、私はたくさん勉強をして資料をそろえてさあ、完璧なものを書くぞとか、そういう学術論文のようなものを書こうとかいう考えはもっていない。私よりよくものを知っているひとがたくさんいるのになぜ、その世界で同じことをしなくちゃならないのか。そもそも、私が慰安婦問題を書くのは何のためなんだ。

 

慰安婦のひとたちの悲惨だった境遇を聞き、同情する。なぜ政府はいまだに謝罪も補償もしてやらないのだろう。少しでも彼女らのためになることをしたい。なのに、ネットの言論界ではなんと、彼女らを中傷・誹謗し、彼女らを支えようとする善意のひとたちをあしざまに言うひとたちの言葉が溢れている。そして残念なことには、彼らが発する無知で残酷な言葉は国民の一部の間で一定の支持を得ている。政府がここまで強気でいられるのは、そのためである。

 

であるならば、私にできることで一番大きなことは、ネット上で右翼の言説によって洗脳されたひとたちを脱洗脳することである。

 

さて、慰安婦問題を取り扱うプログは多数ある。だが、その多くは慰安婦問題を研究するブロガー同士の情報のキャッチボールの場になっているのではないか。慰安婦問題を地道に研究する場はもちろん必要である。しかし、もっと大切なのは一般のネットユーザーに歴史の事実と人権・人道の意識を広めることだ。そういうブログはあるのか。一般ネットユーザーのレベルを考えて書いているのか。数ある右翼ブログとどちらが、ひとびとに言い聞かせる力が強いか、考えたことはあるのか。

 

右翼ブログは単純・明解でひとびとの感情に訴える。事実を単純化し、資料を読まなくても理解できる。日本が侮辱されているという、低級な感情に訴える。ずるいやり方ではあるが、とても訴求力が強い。これに対抗するためにはこちら側もわかりやすく真実を伝えなくてはならない。面倒くさい資料を羅列する必要はない。相手がはっと気づく、ものごとを元から考えるよう仕向けるそういう言葉で書く必要がある。これは右翼のブログにはない。彼らのブログはものを考えないですむようにしている。

 

慰安婦問題ブログを見ると囲みテーブルの中に資料がいくつも提示されていて分量が多いが、自分の意見は20-10%というのがある。これはまずい。慰安婦問題をこれからやろう、と思っている自分でさえ、こんなブログはまず、読みとおす気にならない。だから仲間内のキャッチボールであって内向きだというのだ。右翼によって洗脳されたユーザーはこういうのを読んで勉強すると思うか。

 

もちろん自説の正しさを証明するために資料は大切だ。だが、その前に自説の正しさをやさしい言葉でずばりと説明すること、それが先決だ。自分の言葉に耳を傾けさせることが出来てはじめて読者は資料を読む気になるのだ。 

 

相手にもっとはじめから自分の頭で考えさせるためにはどうしたらいいか。そのためにはブロガー自身が自分の頭で考えていなくてはならない。資料や本を読むのはかったるいぞ。一番いいのは反対の意見を持つものと討論することだ。そうすると自分が思いもよらなかった言い分、意見に遭遇する。そのときは本や資料はあてにならない。それは適切な資料や本の言及部分に瞬時にアクセスできないからだ。

 

そのときは今の自分の知識だけ使って自分の頭で考えて自分の言葉で書くしかない。そして相手の知識水準と慰安婦問題に対する態度を見極めて言葉や反論材料を選ぶ。相手にあわせてさまざまな言い方を工夫し、そのときに必要な資料を選択して書く。いままでわかっていると思うことでもこうして、なんども相手を見て書き換えをすることであやふやな知識、付け焼刃の論理がしっかりしたものになる。対話・議論するたびに自分の成長を確認できる。だから、議論は私にとって欠かせない学習手段なのだ。 

 

 

 

資料の読み方だってそうだ。本を一冊、二冊、三冊と片端から読破して、積み上げていって賢くなれるか。なれない。「学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや」。本を読んだあとはそれを自分の頭の中で熟成する時間が必要だ。そして、ふと沸き起こる疑問点、それをいつもいつも考えていること、かたときも考え続けているときに、自分の中で新しい解決がえられる。それはただちに新しい表現、言い方ができるようになる。それは知識を真に自分のものに出来たということなのだ。 

 

私は畳の上の水練というのは嫌いなのだ。まず相手と議論して、自分の持っているありったけの知識と論理立てで勝負する。その結果、痛いところを突かれたら、そこでまた、本を読む、資料を探す。そういう知識だけが、自分の身についた知識になる。私は慰安婦のことはまだ知らないことがたくさんある。何を知らないかをまだよく知らない。議論して相手に適切な反論を与えられない、言葉につまる、そういうときがある。そのときこそ勉強して自分の成長の糧とすることができる。実は歴史修正主義に勝つということはなにも相手を論破する、相手を説得するということだけが目的ではないのだ。相手との対話をして自分自身の認識を高める、自分がどのような歴史修正主義者に対しても太刀打ちできない人間になる、ということ自体が歴史修正主義に勝つということなのだ。

 

私は掲示板出身者である。2002年当時は左翼も右翼も同じ掲示板でやりあっていた。今は左右両派にわかれて同一ブロック内でのやり取りばかりがある。トラックバックとリンクなどで交流・行き来は盛んだが、言いっぱなし、言いたい放題で終わっている。たまに来るブログのコメント欄での討論はすぐに物別れ、討論不成立で終わってしまう。私はそれが残念だ。これは大きい目線でいうと民主主義にとって具合が悪い。

 

 

 

まず、議論に来たひとにものを知らないと馬鹿にしたり、人権意識がないとか、そういうものの言い方をしない。これは左翼・右翼を問わず、相手の人格をけなしたり、こちら側から見た「論理の破綻」を非難しつくしているが、われわれの側は決してやってはならない。

 

 

当てこすり、皮肉、切り返しのような言い方を慎む。この言い方をしても相手には通用しない。相手はまず、同じような切り返しをしてくる。なぜそうなるかというとお互いが議論のための共通認識が崩れたときにこうなる。お互いに議論のプラットフォームが得られず、自分の土俵で勝負しようとしているからだ。このようなときは改めて相手に語らせることが必要だ。相手に語らせたところで共通認識のある場所まで降りて新たに土俵を設定することが必要だ。

 

仲間内で使うような新語を使うな。たとえば、「マイ定義」とか「メタなんとか」とか、ちょっと前から「disる」という言葉も知った。なぜ使ってはいけないか、というとまず私が知らない言葉だということがひとつ。私は結構ネットを見ているほうだと思うが、それなのにわからない。ということはネットを私より見ていない人には伝わらない。

 

意味が伝わらないひとにも、その言葉の感覚は伝わる。こういう言葉を使うひとは「おれはネットの世界でバリバリやっているぞ」という優越感を込めている。それは必ず反発感を持たれる。そしてこの種の言葉はネット右翼とそれに追随するひとたちを冷笑・皮肉する感覚を持っているからだ。

 

議論のエンディングで相手に勝った、とか、相手が逃亡した、などと言って終わるな。ネットでの議論というのは言論空間におけるプロレスゲームみたいなもので完全にバーチャルである。議論内容で負けているはずのものでも、理解力がないものは投げられた痛みを感じないでいられる。こういうものを相手にして相手に勝ったとか相手が逃げたとか言ってもむなしい。勝負の判定はROMのひとの任せれば十分だ。議論内容で相手が負けたと認めている、そういう風情が見られるときだけが本当の勝ちである。相手がものごとを少しでも元から考え直すように仕向けたらますまずである。

 

 

まだまだ書き足りないこと、書き漏らしもあるかも知れず、しかし、とりあえず今思い及ぶことを書いたということで、今まで慰安婦関係のブログ、サイトを運営してきた方々にはこれから、もっともっと御世話になります。よろしく、お願いします。

 

橋下ツイスト(3)

 6月4日付けの橋下ツィートである。性懲りもなく橋下が慰安婦問題で反撃を行なって、自分を正当化しようと試みている。。

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慰安婦問題がここまでこじれているのは、日本が国内向けと世界向けに二 枚舌を使ってきたことだ。国内向けには、国家の意思として女性を拉致、人身売買した事実はないと。(*1)そして世界にはそのような事実を認めるそぶり。河野談話 は読み方によってはどちらにも読める霞が関文学の極み。

河野談話は政府・軍の関与を認め、責任をとる姿勢だった。その方針 に抵抗したのは自民党内の右翼だ。そして橋本内閣、第一次安倍内閣で「強制連行の証拠はない」ということをなぜか付け加えた。強制連行の有無は慰安婦に対 する強制の一部であり、たとえ強制連行がなくても政府の責任は免れない(*2)。国家の責任は「意思として女性を拉致、人身売買」をした場合に限られない。政治の 責任は結果責任であり、心ならず慰安婦に苦しみを与えたとしてもあるし、内心はそうなることを予測した上で誰かに命令した場合も、そうなると予測していな かったが、そうなったときに防ぐ手段を講じなかった場合、このすべてが国家の責任となる。橋下の「国家の意思として女性を拉致、人身売買した事実はな」ければ日本政府に責任はないというのは言い逃れである。


>国 連拷問禁止委員会から、日本政府は事実を明確化せよと勧告を受ける。日本政府はあいまい戦略をやめて明確化すべきだ。国家の意思としての拉致、人身売買が あったのか否か。事実をあいまいにすることほど、紛争をこじらせることはない。事実を明確化した上で、評価については政治判断があっても良い。

事実をねじまげてはいけない。国連拷問禁止委員会が日本政府に求めたのは「旧日本軍の従軍慰安婦問題について「政府や公人による事実の否定、被害者を傷つけようとする試みに反対する」こと」だ。橋下に注意せよ、とそういうことだ。


>しかし事実については政治判断があってはならない。慰安婦について日本人の認識と、世界の認識にずれがある。これも慰安婦問題が解決しない根っこだ。1996年に国連人権委員会で採択されたクマラスワミ報告書に記載されている慰安婦の事実の一つはこうだ。

>「仲 間の1人が1日40人もサービスをするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を斬り落とし、「肉を茹でて、食べさせろ」と命じた。性 病消毒のため熱い鉄の棒を局部に突き刺されたり、生き埋めになったり、入れ墨されたりして少女の半分以上が殺された。」(第54項)

>このような事実が国連人権委員会で認定されている。これが世界が認識している慰安婦の姿だ。日本人はそのような認識があるだろうか?もちろんこの事実については日本の歴史学者は否定している(秦郁彦氏)(*3)。このような事実があたったのかなかったのか、明確化すべきだ。

こ のように認識している元慰安婦がいることはだれも否定できない。また、これと同様の暴虐が、多数あったことも誰も否定できない。ひとつの証言だけを取り出 してその詳細について正確かどうかを問題にするのは慰安婦問題をなかったようにするためのいつもの方便だ。また、人権委員会では慰安婦の証言だけでなく、 兵士の証言、日本政府・軍の資料も参照して事実を認定している(*4)。


>世 界が認識している慰安婦の姿と、日本人が認識している慰安婦の姿にギャップがある。ここに問題が解決されない根本原因がある。世界が求めるレベルの反省を 日本人がしていないと。それはそうだ。日本人は、慰安婦の姿についてきっちりと認識していない。日本政府が事実を明確化していないからだ。

日 本人はもっと慰安婦の姿を知る必要がある。それはそうだ。まず、政府にあれこれ言う前に橋下氏が勉強すべきだ。いや、ここまで論理を組み立てられる橋下は勉強は いろいろしているはずだ。しかし、橋下は自分の認識として慰安婦問題のどこに責任があったか、それは一切語らない。反省をしなければならないと言いつつ、 誰が、どの行為について反省すべきか、一向に明らかにしていない。すべて誠意のない詭弁、ごまかしだ。


>国 連が日本政府に、慰安婦についての事実を明確化するように求めた。日本政府はこれまでのように、国内向けと世界向けに二枚舌を使うあいまい戦略を止めて、 国内にも世界にも、同じ事実を明確に主張すべきだ。国家の意思として女性の拉致や人身売買があったのかなかったのか。これが僕の発言の真意だ。

問われているのは慰安婦に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えた責任は誰かである。その責任は政府・軍にあった。

>http: //bit.ly/14qBNSH 国家の意思として女性を拉致、人身売買したのか否kかを日本政府は明確化すべき。戦中、世界各国も女性を性の対象とし て利用してきた。ところが日本だけを非難するのは日本だけが国をあげて拉致・人身売買をした点で特殊だったからという。これは事実か

>日本は過去の過ちを直視し反省しなければならない。しかし、日本だけが国をあげて女性を拉致・人身売買したとして非難を受けなければならないのか。全ては、国家の意思として女性を拉致・人身売買したのか否か、この事実の有無による。


日本軍がしてきたのは売春ではない。まず、女性を卑劣な手段で狩り集め、監禁・拘束し、性暴行すなわち強姦を組織的に行なったに等しい(*6)。政 治家としてこの問題に発言しようとするならば、その事実があったか、なかったか自分の認識としてまず語るべきだ。それを行なった上ではじめて政府にどう こうと言える。橋下が行なっているのは事実を曖昧にしたまま、橋下を支持する層に対してアジテーションを行なっているに過ぎない。
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以下の点については別のエントリーを設けて解説します。

(1)橋下が「強制連行なかった」論から「国家の意思として拉致、人身売買したのではない」論にかえた理由。

(2)「強制連行がなければ政府の責任はない」論は通らない。

(3)この事実を秦郁彦氏が否定できたかというとそうではない。

(4)慰安婦に対する強制は慰安婦の証言、兵士の証言、政府・軍の文書資料で証明されている。

(5)日本政府が橋下のいわゆる「曖昧戦略」をとっていることは事実。それは否定しようがない事実だったからである。一方でどうしても日本の責任を明らかにしたくなかった自民党の右翼が責任をとることに反対したからである。この曖昧さは安倍首相もとっている。

(6)世界各国の「女性の利用」の大多数は日本と異なる。すなわち、国家の積極的関与はなかったことである。あるいはその内容について知られている範囲では日本ほどの国家の強い関与はない。その実態に対する被害者からの証言が乏しく、日本の事例ほどひどい例は知られていない。したがって日本とけっして同列に並べるべきではない。